藤原理忠
藤原 理忠(ふじわら の まさただ)は、平安時代中期の官吏。官職は壱岐守。
凡例 藤原理忠 | |
|---|---|
| 時代 | 平安時代中期 |
| 生誕 | 不詳 |
| 死没 | 寛仁3年4月7日(1019年5月14日) |
| 墓所 | 長崎県壱岐市勝本町立石南触 |
| 官位 | 壱岐守 |
| 主君 | 後一条天皇 |
| 氏族 | 藤原氏 |
経歴
寛仁3年(1019年)得体のしれない賊徒が島の人々を襲い、家畜を食い荒らしていると言う急報を聞いて、直ちに布代城から兵士を率いて賊徒の討伐に向うが、約3000人もの賊徒にはとても敵わず、奮戦するも味方の兵士147人と共に討ち死にした(刀伊の入寇)。
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