藤原行正
藤原 行正(ふじわら ぎょうせい、1929年(昭和4年)2月9日 - )は、日本の政治家。
| 藤原行正 ふじわら ぎょうせい | |
|---|---|
| 生年月日 | 1929年2月9日(94歳) |
| 出生地 |
関東州大連市(現・ |
| 所属政党 |
(無所属 →) (公明政治連盟→) (公明党→) 無所属 |
| 称号 | 藍綬褒章(1984年) |
| 選挙区 | 杉並区選挙区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 | 1963年4月 - 1989年7月22日 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1955年4月 - 1963年3月 |
来歴
杉並区議会議員に初当選
1954年(昭和29年)、創価学会男子部第7部隊長の任命を受ける。
1955年(昭和30年)4月、学会の政界進出第1弾となった第3回統一地方選挙では、東京都杉並区議会議員選挙に無所属(学会推薦)で立候補し、初当選。
東京都議会議員に当選
1963年(昭和38年)4月に東京都議会議員に初当選。以後、1989年(平成元年)6月まで7期26年間、都議会議員を務め上げる。
1969年(昭和44年)創価学会と公明党が、創価学会を批判する本の出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」に、公明党の中央幹部会員として事件に関わる。
この間、1970年(昭和45年)6月に公明党中央執行委員、1973年(昭和48年)には都議会公明党幹事長に就任する。
1984年(昭和59年)に、藍綬褒章を受章。これと自らの議員生活30周年記念を兼ねて高輪プリンスホテル(当時)でパーティーを開催するが、そこで池田大作に反旗を翻す決意を表明[1]。
1985年(昭和60年)、7期目の都議会選挙に当選するが、都議会公明党幹事長の職から下ろされる[1]。
定年を前に公明党から都議会選挙での公認を外され、創価学会批判の急先鋒となる[1]。
役職歴
- 公明党
- 中央執行委員
- 都議会公明党
- 幹事長
脚注
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