藤堂氏勝
略歴
本姓は長井氏である。
朝鮮出兵に従軍し、慶長2年(1597年)9月に鳴梁海戦で功をあげ、加増の上、藤堂姓を名乗ることを許された。
関ヶ原の戦いでも功をあげる。
板嶋城天守の普請奉行をつとめた。
大坂の陣に一隊を率いて従軍し、冬の陣で功があり1千石を加増された。当時2千石だったという[1]。
夏の陣・八尾の戦いで長宗我部盛親隊と戦い[2]、長宗我部勢の左側面を狙うも、長宗我部主水[3]が猛攻を繰り出し氏勝は下馬して戦った。主水が氏勝の左脇を槍で突くが、家臣の村田平左衛門が助太刀し逃れる。しかし致命傷を負ったため退却中に死亡した。
脚注
- 大坂兵制。
- 『公室年譜略』に、旗本前備‐馬上弓隊二拾騎歩弓足軽三拾人‐藤堂勘解由、とある。
- 南岡四郎兵衛の息子。
- 八尾市本町5-8-1
- 越前出兵の際の軍制では子の藤堂氏紹に騎馬弓弐拾騎弓二拾人、とある。
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