衣縫王
経歴
持統天皇4年(690年)に着工した藤原京の造京司を務め、持統天皇7年(693年)には工事で掘り出された死体を別の場所に埋葬するよう詔を受けた[1]。文武天皇3年(699年)当麻国見らとともに越智山陵(斉明天皇陵か)に派遣され山陵の修造を行った。
官歴
『六国史』による。
脚注
- 『日本書紀』持統7年2月10日条
- 鈴木真年『百家系図』巻59,蜷淵真人では殖栗皇子の子に繋げるが、やや年代が合わない。
- 鈴木真年『百家系図』巻59,蜷淵真人
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