西京丸

西京丸(さいきょうまる)は日本郵船の貨客船。日清戦争では巡洋艦代用として、日露戦争では病院船として運用された。

西京丸
基本情報
船種 貨客船
クラス 西京丸級貨客船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 日本郵船
栗林商船
運用者 日本郵船
 大日本帝国海軍
南満洲鉄道
栗林商船
建造所 ロンドン&グラスゴー造船所
母港 東京港/東京都
室蘭港/北海道
姉妹船 神戸丸
信号符字 HGQF[1]
IMO番号 1092(※船舶番号)[1]
経歴
進水 1888年3月14日[1]
竣工 1888年6月
就航 1888年8月
その後 1927年解体
要目
総トン数 2,904トン[2]
載貨重量 2,300トン[1]
全長 99.1m[2]
垂線間長 97.7m[1]
型幅 12.8m[2]
型深さ 8.85m[2]
主機関 直立三連成レシプロ 2基[2]
推進器 2軸
出力 3,240IHP[2]
最大速力 14.0ノット[2]
航海速力 12.0ノット[3]
旅客定員 一等:32名
二等:39名
三等:247名[2]
1894年8月徴用。
巡洋艦代用としての兵装:12センチ速射砲 1基、57ミリ速射砲 1基、47ミリ速射砲 2基[2]

なお、太平洋戦争後に讃岐丸型貨物船の8番船として同名の二代目船が建造された。1961年(昭和36年)に竣工後、貨物輸送に従事。1979年(昭和54年)に解体された[4]

文中、トン数表示のみの船舶は日本郵船の船舶である。

竣工

1885年、激しい競争を繰り広げていた郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併し、日本郵船が設立された。新会社といっても、船隊の顔ぶれは旧会社2社からそのまま引き継いだものが多く、老朽船が多数を占めた他帆船も11隻含まれていた[5]。郵船が最初に行ったことは、これら雑多な船隊を整理して新造船の導入を進め、船質改善に務めることであった。西京丸は郵船創立後最初の新造船としてグラスゴーのロンドン&グラスゴー造船所で建造された[2]。西京丸は1888年6月に完成後日本に回航され、同年8月に到着し[3]上海航路に就航した[6]、後ろ方向にやや傾斜したマスト煙突を持ち、船橋楼から船尾にかけては遊歩甲板が設けられ、その下に一等船室やサロンなどが設けられた[2]

日清戦争・黄海海戦

1894年7月25日の豊島沖海戦で、事実上日清戦争が勃発。西京丸は開戦後ただちに日本海軍に徴用され、巡洋艦代用に改造[7]。武装が施され、9月2日に佐世保を出撃して、翌3日に長直路の根拠地に到着した[2]。9月6日、軍令部長樺山資紀が幕僚5名を従えて西京丸に乗艦[2]。西京丸は戦況視察の目的を以って連合艦隊付属となり、艦隊とともに9月16日に出撃した[8]

翌17日昼ごろ、連合艦隊は黄海海上、海洋島近海で清国北洋艦隊を発見。黄海海戦である。艦隊発見と同時に、連合艦隊司令長官伊東祐亨は、西京丸と赤城に対して戦闘を避けるよう信号を出した[6]。しかし、信号に従って戦闘を避けたつもりだったのが、戦闘自体が激しくなるにつれ、いつしか敵前孤立の形となった[6]。この時までに上甲板に一発被弾し船室を貫通したが、幸い戦死者は出なかった[6]。最初の危機が去って間もなく、今度は北洋艦隊旗艦定遠鎮遠来遠の3隻が西京丸に対して攻撃を仕掛けた[6]。定遠か鎮遠のうちのどちらかが発射した30.5センチ砲弾が命中し、サロンと機関室、スチームパイプを破壊した[6]。スチームパイプの破壊で一時操舵が困難となったが、人力装置に切り替えて第二の危機を乗り切った[6]。ほどなく水線付近にも被弾し浸水が始まったが[6]、この浸水はセメントで被弾箇所を固めて食い止めた[6]

福龍

定遠以下の攻撃を凌いだのもつかの間、前方から新手の敵である平遠広丙水雷艇を伴って襲ってきた[6]。西京丸は備砲で水雷艇を追い払うと、平遠と広丙に対して攻撃。両艦は大した反撃もなく去り[6]、続く敵、水雷艇福龍が西京丸の前に立ちふさがった[6]。福龍は西京丸に対して500メートルの距離で最初の雷撃を敢行。しかし、これは西京丸の左舷をかすめ去った[6]。西京丸は備砲で反撃を試みたが、運悪く故障が発生し反撃できなかった[6]。福龍は西京丸が反撃できない好機を逃さず、二度目の攻撃でわずか40メートルにまで接近し、魚雷を発射。しかし、距離が近すぎたのか魚雷は西京丸の下を通過して反対側に去っていった[9]。西京丸は被弾12発を数えた。しかし、戦死者はわずか1名であった[9]。西京丸は「舵故障」の信号を掲げて戦場を離脱した[9]

黄海海戦後の西京丸は修理の後、引き続き徴用船として活動。1895年5月8日以降の台湾平定にも参加した。最中の10月28日に台湾征討近衛師団長北白川宮能久親王台南にて薨去。西京丸は能久親王の遺体を安平から日本に運搬した[9]。この際、表向きには「(能久親王は)御病気ニテ御帰京遊バサル」ということになっていた[10]。戦争終結後、西京丸は徴用を解除された。

その後の西京丸

上海航路に復帰した西京丸は大いにモテた。黄海海戦での奮戦ぶりが大々的に報じられ、わざわざ西京丸の便を待つ乗客が出るほどの人気であった[9]。1903年、西京丸は弘済丸(2,627トン)と入れ替わるように上海航路から撤退した[11]。1904年からの日露戦争では姉妹船神戸丸(2,901トン)とともに病院船として活動した。

1909年、「西京丸」は南満洲鉄道に傭船され、大連・上海航路に就航[12]。1913年8月に「さかき丸」が就航すると「西京丸」は傭船を解除された[13]

第一次世界大戦前後は青島航路に転じ[14]、1921年5月7日に栗林商船に売却され、上海・大連航路に就航した[9]。その後は老朽化により引退し、1927年夏に大阪尻無川で解体された。

年表

  • 1888年6月:ロンドン&グラスゴー造船所で竣工
  • 1888年8月:日本到着。上海航路に就航
  • 1894年8月:日清戦争開戦により海軍に徴用
  • 1894年9月17日:黄海海戦に参加。損傷を被る
  • 1895年:台湾平定に参加
  • 1895年10月29日:北白川宮能久親王の霊柩を輸送
  • 1903年4月23日:上海航路から撤収
  • 1904年:海軍に徴用。病院船として活動
  • 1913年ごろ:青島航路に就航中
  • 1921年5月7日:栗林商船に売却。上海・大連航路に就航
  • 1927年夏:大阪の尻無川で解体

艦長

脚注

  1. なつかしい日本の汽船 西京丸”. 長澤文雄. 2023年10月3日閲覧。
  2. 山高 1981, p. 92.
  3. 木津 1984, p. 82.
  4. なつかしい日本の汽船 西京丸”. 長澤文雄. 2023年10月3日閲覧。
  5. 木津 1984, p. 64.
  6. 山高 1981, p. 94.
  7. 「巡洋艦代用」は当時、西京丸のほか武装した徴用商船を指す言葉として広く使われた。アジア歴史資料センターには「巡洋艦代用」を表題に含む文書が多数残されている。また明治29年の海軍艦船条例は戦闘能力のある軍艦を「第一種軍艦」とくくるのみであり、西京丸をのちに通報艦に類別される八重山などとともに「特務艦」と表記した文書もある(『大海報第26号 27年10月26日 連合艦隊区分』)。日清戦争時には「仮装巡洋艦」という艦種名称は未だない。日露戦争時の呼称を援用すると仮装巡洋艦と呼ぶことができる
  8. 山高 1981, p. 93.
  9. 山高 1981, p. 95.
  10. 『海参三十六号』
  11. 『横浜上海線定期船ノ件』
  12. 松浦章 2020, p. 24-25,37-38.
  13. 松浦章 2020, p. 24-25.
  14. 『大阪青嶋線定期舩西京丸ニ郵便物塔載ノ件』
  15. 『日本海軍史』第9巻, p. 176.
  16. 『日本海軍史』第9巻, p. 322頁.

関連項目

参考文献

  • 『海参三十六号』(11.2 近衛師団長御病気に付き御帰京 角田少将) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C06061983900
  • 逓信大臣子爵芳川顕正『横浜上海線定期船ノ件』(横浜上海線定期船ノ件・(日本郵船)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:A04010075800
  • 日本郵舩株式会社『大阪青嶋線定期舩西京丸ニ郵便物塔載ノ件』(大阪青島線定期船西京丸に郵便物搭載の件) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C03024472700
  • 山高五郎『図説日の丸船隊史話』至誠堂〈図説日本海事史話叢書〉、1981年。doi:10.11501/12655807全国書誌番号:81038235https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12655807
  • 木津重俊『日本郵船船舶100年史』海人社〈世界の艦船〉、1984年。doi:10.11501/12065776ISBN 4905551196。全国書誌番号:85020924https://dl.ndl.go.jp/pid/12065776/1/1
  • 野間恒、山田廸生編『世界の艦船別冊 日本の客船1 1868~1945』海人社、1991年、ISBN 4-905551-38-2
  • 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第一法規出版(発売)〈第9巻〉、1995年。 NCID BN1411091X
  • 松浦章「南満洲鐵道株式會社の上海航路」『關西大學文學論集』第70巻第3号、關西大學文學會、2020年12月、19-46頁、CRID 1050569159963499008hdl:10112/00022242ISSN 04214706NAID 120006949045
  • 『御署名原本・明治二十九年・勅令第七十一号・海軍艦船条例制定軍艦条例廃止』アジア歴史資料センター レファレンスコード:JACAR A03020231100
  • 『大海報第26号 27年10月26日 連合艦隊区分』アジア歴史資料センター レファレンスコード:JACAR C11080764000
  • 『28年12月3日 巡洋艦代用西京丸乗組1等機関の件』アジア歴史資料センター レファレンスコード:JACAR C10125686300
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