記念の詩
解説

ヨハン・シュトラウス2世のデビューの告知。「ダンスの夕べ(ソワレ・ダンサント)」と新聞に広告されたが、当日は事実上のコンサートとなった[3](1844年)
1844年10月15日、ヨハン・シュトラウス2世はカジノ・ドムマイヤーにおいてデビューした。ヨハン2世はまず当時の慣習に従って、オベールやマイアベーアのオペラの序曲を演奏し、それから以下の4つの自作品を初演した[3]。
- ワルツ『記念の詩』(op.1)
- 『デビュー・カドリーユ』(op.2)
- ポルカ『心ゆくまで』(op.3)
- ワルツ『どうぞごひいきに』(op.4)
この中でも『記念の詩』は目玉作品であり[4]、とりわけ聴衆を熱狂させて19回もアンコールされたという[3]。デビューコンサートは大成功を収め、『デア・ヴァンデラー』紙は10月19日の紙面で「おやすみランナー、こんばんはシュトラウス1世、おはようシュトラウス2世!」と称えた[4]。
第1ワルツ

時は流れて1894年10月15日前後、ヨハン2世が音楽家生活50周年を迎えたことを祝って、盛大な記念行事がウィーンのあちこちで催された。弟のエドゥアルト・シュトラウス1世は、ヨハン2世のワルツ・メドレー『花冠(Blüthenkranz)』を作曲し、メドレーの二番手として兄のデビュー当時を象徴するこの『記念の詩』を配している[5]。(ちなみに、一番手はヨハン2世が6歳の時に作曲したとされる『最初の楽想』である[5]。)
ニューイヤーコンサート
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。
- 1975年 - ヴィリー・ボスコフスキー指揮(作曲者の生誕150年)
- 1999年 - ロリン・マゼール指揮(作曲者の没後100年)
参考文献
外部リンク
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