谷野一栢
生涯
生没年不詳。奈良の蓮仙院の僧で、明に渡り医術を学んだ。儒学、医学、易学で名を知られ、1532年(天文1年)、朝倉孝景の招きで一乗谷に移住し、朝倉氏に仕えた。1536年(天文5年)、孝景の命により、中国の明代に成立したものを校訂し『勿聴子俗解八十一難経』を出版。日本で2番目に古く出版された医書であり、越前で出版された最古の本である。三崎安指を養子とし医薬の法を伝え、弟子であった釈宗藝に宗門の法を伝えた。孝景は一栢が住んだ高尾村に薬師堂を建てた[1][2][3]。
勿聴子俗解八十一難経
『勿聴子俗解八十一難経』は医書。中国・後漢代成立の医書で鍼と臨床について述べた『難経』に、明代、熊宗立(ゆうそうりつ)が注釈を加えて成立したものが『勿聴子俗解八十一難経』。これに、朝倉孝景の命をうけた谷野一栢が校訂を加え、天文5年(1536年)9月に一乗谷城下の高尾で出版した。越前で出版された最古の本であり、木版刷3冊から成る。この版木の一部(全冊の約7分の1である6枚19丁分)は、西福寺(福井県敦賀市)に保存される。昭和40年(1965年)5月、福井県指定有形文化財に指定。内容は、鍼と臨床について述べ、特に金創医学において刀傷の治療に役立った[1][2][4][5]。
脚注
- 三上一夫『福井県の教育史』思文閣出版、1985年、p55~56頁。
- 福井新聞社百科事典刊行委員会『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年、p583頁。
- 則武三雄『えちぜん・わかさ文学館』松見文庫、1971年、p98~99頁。
- 「越前朝倉版「俗解八十一難経」の版木」『若越郷土研究』第19巻第5号。
- 福井県教育委員会『文化財調査報告 第16集』福井県教育委員会、1966年、p12~14頁。
外部リンク
- (明)熊宗立纂図、一栢老人(谷野一栢)校正 『新刊勿聴子俗解八十一難経 (序図跋)』天文5年(福井県文書館 デジタルアーカイブ福井)
- (明)熊宗立纂図、一栢老人(谷野一栢)校正 『新刊勿聴子俗解八十一難経 巻之一・巻之二』天文5年(福井県文書館 デジタルアーカイブ福井)
- (明)熊宗立纂図、一栢老人(谷野一栢)校正 『新刊勿聴子俗解八十一難経 巻之三・巻之四』天文5年(福井県文書館 デジタルアーカイブ福井)
- (明)熊宗立纂図、一栢老人(谷野一栢)校正 『新刊勿聴子俗解八十一難経 巻之五・巻之六』天文5年(福井県文書館 デジタルアーカイブ福井)
- 谷野一栢作成『俗解八十一難経抄全(八十一難経抄)』1529年(享禄2)10月~年月日未詳(三崎玉雲家本)(福井県文書館 デジタルアーカイブ福井)
- 福井県立図書館松平文庫テーマ展「医学書を著した福井ゆかりの医者たち」平成29年7月22日~9月10日(福井県立図書館)
- 「戦国ー江戸の医学書紹介 福井県立図書館」(北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ)
- 新刊勿聽子俗解八十一難經卷1-3圖要1卷(国立国会図書館デジタルコレクション)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.