貝島栄四郞
略歴
筑豊御三家の一つである貝島財閥の創始者である貝島太助の次男として生まれ、貝島炭坑の社長などを務める。
叔父である貝島六太郎の養子となり、東京の工手学校で機械学や採鉱学を学んだ後に、貝島家が経営する菅牟田鉱業所へ入る。
その後、菅牟田鉱業所長、貝島鉱業株式会社常務取締役兼鉱業部長を経て、大正5年(1916年)に貝島鉱業株式会社専務取締役社長に就任した。
貝島栄四郎の旧宅である貝島百合野山荘は、宅地は約1万7700平方メートルで、約9万平方メートルの敷地を持ち、直方市に現存する。貝島家の建物で地元に残存する唯一の建物であり、貴重な炭鉱遺産として現在、貝島百合野山荘市民の会により保存活動が展開されている[2]。
年譜 [3]
脚注
- 地方財閥の形成者 : 貝島太助・太市と安川敬一郎・松本健次郎 宇田川勝、法政大学イノベーション・マネジメント研究センタ ー ワーキングペーパーシリーズ 巻115 2011-11-18
- 貝島百合野山荘市民の会ホームページ(https://yurinosansou.sakura.ne.jp/index.html#)
- 九州大学石炭研究資料センター編(1989)『石炭研究資料叢書』第10巻
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