赫連皇后
赫連皇后(かくれんこうごう、? - 453年)は、中国の北魏の太武帝の皇后。
| 赫連皇后 | |
|---|---|
| 北魏の皇后 | |
| 在位 | 432年1月 - 452年3月 |
| 死去 |
453年 |
| 埋葬 | 金陵 |
| 配偶者 | 太武帝 |
| 氏族 | 赫連氏(夏皇族) |
| 父親 | 赫連勃勃 |
| 立后前身位 | 貴人 |
経歴
夏の赫連勃勃の娘として生まれた。427年(始光4年)、太武帝が統万を平定すると、赫連氏はふたりの妹とともに後宮に入れられて貴人となった。432年(延和元年)1月、皇后に立てられた。452年(承平元年)3月、太武帝が殺害され、南安王拓跋余が即位すると、赫連皇后は皇太后となった。10月、文成帝が即位すると、赫連皇太后は太皇太后となった。453年(興安2年)閏月、死去した。金陵に陪葬された。
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