越塚古墳
越塚古墳(こしづかこふん)は、奈良県桜井市粟原(おおばら)にある古墳。形状は円墳。奈良県指定史跡に指定されている。
| 越塚古墳 | |
|---|---|
![]() 石室開口部 | |
| 所在地 | 奈良県桜井市大字粟原(字粟原) |
| 位置 | 北緯34度29分53.80秒 東経135度52分57.42秒 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径43m 高さ7m |
| 埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式石棺) |
| 築造時期 | 6世紀末 |
| 史跡 | 奈良県指定史跡「越塚古墳」 |
| 地図 |
![]() 越塚古墳 |
概要
奈良盆地南東部、御破裂山から粟原川に向かって延びる尾根の1つに築造された大型円墳である。これまでに1958年(昭和33年)に測量調査が実施されているが[1]、発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径約43メートル・高さ約7メートルを測る[2]。墳丘は2段築成[3]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められない[4]。また墳丘周囲に周濠は巡らされていない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する[2]。花崗岩の巨石が使用された石室全長15.4メートルを測る大型石室であり、桜井市内では赤坂天王山古墳(桜井市倉橋)に次ぐ規模になる[1]。石室の玄室内には二上山産凝灰岩製の組合式石棺が据えられる[3]。副葬品は詳らかでない[3]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀末[2][4](または6世紀後半[1][5])頃と推定される。代表的な後期古墳の1つとして位置づけられる古墳になる[1]。西方の同一尾根上には他にも石室古墳が分布しており、本古墳との関係性が指摘される[3]。
遺跡歴
埋葬施設
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埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]。
石室には花崗岩の自然石の巨石が使用される[2]。壁面は玄室では奥壁・側壁とも基本的に3段積みで、上段をやや持ち送る[4]。奥壁・前壁はいずれも垂直に積まれ[3]、特に前壁の見上石は巨大な石になる[4]。羨道の石はやや小さめで、2段または3段に積む[4]。天井石は玄室では4石、羨道では4石[4]。石室内にはこぶし大の礫敷が認められる[4]。石室の特徴的には赤坂天王山古墳(桜井市倉橋)との類似が認められるほか[1]、烏土塚古墳(平群町)とはほぼ同一設計になるとして注目される[7]。
玄室内には二上山産凝灰岩製の組合式石棺が据えられる。床石は2石が残存するが、ホゾ溝の形状からはもう1石存在したと見られ、推定復元で長さ3メートル・幅1.25メートル程度の大きさになる[3]。
石室俯瞰図
参考:烏土塚古墳石室俯瞰図
玄室(奥壁方向)
玄室(開口部方向)
玄室の組合式石棺
羨道(開口部方向)
羨道(玄室方向)
開口部
脚注
- 平成30年度 奈良県指定文化財答申一覧 (PDF) (奈良県ホームページ)。
- 史跡説明板。
- 桜井の横穴式石室を訪ねて 2010.
- 越塚古墳(平凡社) 1981.
- 越塚古墳(古墳) 1989.
- 奈良県指定文化財一覧 (PDF) (奈良県ホームページ)。
- 河上邦彦『飛鳥発掘物語』扶桑社、2004年、pp. 66-69。
参考文献
外部リンク
- 越塚古墳 - 桜井市ホームページ
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