趙浮
事跡
| 姓名 | 趙浮 |
|---|---|
| 時代 | 後漢時代 |
| 生没年 | 〔不詳〕 |
| 字・別号 | 〔不詳〕 |
| 出身地 | 〔不詳〕 |
| 職官 | 冀州都督従事 |
| 爵位・号等 | - |
| 陣営・所属等 | 韓馥 |
| 家族・一族 | 〔不詳〕 |
韓馥配下の都督従事。韓馥の命令により、同僚の程奐と共に、数百艘の船と石弓隊一万を擁して、河陽の孟津に駐屯していた。
初平2年(191年)、韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとしていると聞いたため、趙浮と程奐は急遽韓馥の下へ引き返した。その途中、朝歌県の清水口に袁紹とその軍が駐屯していたため、趙浮と程奐は夜間に軍鼓を打ち鳴らしながらその側を通過し、袁紹軍を威嚇した。趙浮らは韓馥の下に戻ると、袁紹と戦うことを願い出たという。しかし結局韓馥はこれを聞き入れず、袁紹に冀州を譲渡してしまった。
その後は史書に記述が見当たらない。また、小説『三国志演義』には登場しない。
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