趙纓絡
経歴
政和元年(1111年)3月25日、順福公主の位を授けられた。政和3年(1113年)閏4月、順福帝姫の位を改授された。靖康元年(1126年)6月、順徳帝姫を再授され、向子扆に降嫁した。
靖康の変後、金に連行され、完顔宗翰(ネメガ)の側室となった。金の天会8年(1130年)6月、纓絡は次婦(妾妻)の位を授けられた。天会15年(1137年)7月に宗翰が病没した後、纓絡は宗翰の家を出て五国城へ向かった[1]が、習古国王[2]に足止めされ、その側室となった。同年、死去した。
伝記資料
- 『宋史』
- 『靖康稗史箋證』
- 『皇第十九女特封順福公主制』
- 『順福公主特改封順福帝姫制』
脚注
- 父帝と団欒したかったと考えられている。
- 金の東路都統。五国城の総監。
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