犬王
生涯
生年不詳ながら、活動時期からして観阿弥と同世代もしくは多少年下かと思われる。
物まねを主体とする大和猿楽に対し、風流歌舞を旨とする近江猿楽の芸風をよく体現し、ひろく人気を集めたとされる。
一時庇護者足利義満の不興をこうむったが、後に許され、義満の法名「道義」から一字をもらって阿弥号「犬阿弥」を「道阿弥」に改めた。
最晩年に至るまで、義満の寵愛は衰えず、応永15年(1408年)に後小松天皇が北山第に行幸した際には天覧能を務めた。
また猿楽能の先駆者たる観阿弥を敬慕することあつく、観阿弥の命日である十九日にはかならず供養を行った[1]。
世阿弥は犬王をきわめて高く評価し、『申楽談儀』に「犬王は、上三花にて、つゐに中上にだに落ちず」と述べている。
20世紀には竹本幹夫の論文「天女舞の研究」[2]によって、世阿弥が犬王の得意とした「天女舞」を取り入れて舞事の充実をはかったとする説が提唱された[3]。
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