郁久閭車鹿会
生涯
父の木骨閭が死去すると、子の車鹿会は勇敢で壮健なので、部衆が集まり、族名を“柔然”と号した。それまでは高車紇突隣部に依っていたが、鮮卑拓跋部の代国に帰属した。
車鹿会が部帥となると、毎年馬などの家畜や貂・豽の皮を代国に貢納した。遊牧民である柔然部は冬になると大漠(ゴビ砂漠)を渡って南に移り、夏になると漠北に帰って生活した。
車鹿会が死去すると、子の吐奴傀が立った。
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