野々村幸政
野々村 幸政(ののむら ゆきまさ)は、戦国時代から安土桃山時代かけての武将。剃髪して宗玄を名乗った。
凡例 野々村幸政 | |
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
| 生誕 | 生年不詳 |
| 死没 | 天正12年9月11日(1584年10月14日) |
| 別名 |
通称:三十郎、主水正、主水助 入道号:宗玄 |
| 主君 | 織田信長→信忠→佐々成政 |
| 氏族 | 野々村氏 |
| 子 | 幸成、迅成(迅政)、幸包 |
略歴
尾張国海東郡津島の人という[3][4]が、谷口克広は正成の同族ならば美濃国の出身とも考えられるとしている[2]。
永禄12年(1569年)の伊勢大河内城攻めに従軍[2]。元亀元年(1570年)6月22日、小谷城攻めよりの退却の際に殿軍を務めた佐々成政に協力した[5]。
天正5年(1577年)から翌年にかけて、津田宗及の茶会に4度も名を連ねているが、「野々村主水入道宗玄」を名乗っており、すでに剃髪していたことがわかる[2]。天正8年(1580年)3月には安土に屋敷地を与えられている[6]。
『野々村氏略系圖』は天正10年(1582年)の本能寺の変において戦死とするが[7]、正成との混同と考えられ、『前田育徳会文書』や『太閤記』では、天正12年(1584年)、同僚だった越中の佐々成政に属し、9月に成政が前田利家の能登末森城を攻めた攻囲戦に参加して、ここで討ち死にしたとする[2]。
詳細は「末森城の戦い」を参照
脚注
- 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、619頁。ISBN 4404017529。
- 谷口 1995, p. 300.
- 深田正韶 等 編『国立国会図書館デジタルコレクション 尾張志. 9 海東郡,海西郡』博文社、1898年、30頁。
- 『尾張志』『張州府志』による[2]。
- ただしこれは『甫庵太閤記』による[2]。
- 『信長公記』による[2]。
- 国書刊行会 1915, p. 347.
参考文献
- 谷口克広; 高木昭作(監修)『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年、300頁。ISBN 4642027432。
- 国書刊行会 編「国立国会図書館デジタルコレクション 野々村氏略系圖」『系図綜覧. 第二』国書刊行会、1915年、347頁。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.