金城黌
概要
- 歴史
- 対馬には1878年(明治11年)に小学校卒業者が進学する学校として厳原准中学校(1880年(明治13年)の県立移管で「長崎県立厳原中学校」に改称)が設置されていたが、1884年(明治17年)に廃止となり、中等教育学校のない期間が数年続いた。1886年(明治19年)には中学校令が施行され、対馬への中学校の設置に向けた動きがさかんになった。そこで1892年(明治25年)に設置されたのが私立の金城黌である。金城黌は公立の中学校が設置される1905年(明治38年)までの13年間存続した。この時に設置された公立の中学校は長崎県立対馬高等学校の前身である。
- 熊本濟々黌とのつながり
- 熊本県にある濟々黌(熊本県立済々黌高等学校の前身)と緊密なつながりがあり、金城黌(3年間)を修了した生徒は無試験で濟々黌4年に編入することが可能であった。実際に金城黌を修了し濟々黌に編入した生徒に、後に国会議員に選出された川本達がいる[2]。
沿革
- 前史
- 1878年(明治11年)- 「厳原准中学校」が設置される。
- 1880年(明治13年)- 県立移管により、「長崎県立厳原中学校」に改称。
- 1884年(明治17年)3月31日 - 長崎県立厳原中学校が廃止される。在学生11名は無試験で長崎区の長崎県立長崎中学校に編入。
- 正史
縁のある人物
脚注
- 「對馬外寇史料」(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 「厳原町教育史」(厳原町教育委員会、1972年(昭和47年)3月)p.86
- 「厳原町教育史」(厳原町教育委員会、1972年(昭和47年)3月)p.93
関連文献
- 「對馬外寇史料」(金城黌、1875年(明治28年)10月28日出版)- 對馬外寇史料(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 「厳原町教育史」(厳原町教育委員会、1972年(昭和47年)3月出版)
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