金木年景
来歴
月岡芳年の門人。姓は金木または後藤。旭斎、容斎と号す。大坂出身かといわれる。作画期は明治元年(1868年)から明治25年(1892年)頃にかけてで、風俗画を手掛ける。芳年が明治19年(1886年)頃、門人27名に宛てて出した書状(芳年門人一覧)には「京橋区木挽町九丁目十六番地 金木年景殿」とある。芳年の後妻の娘小林きんによれば、上野戦争があったとき芳年は年景を連れてこれを見に行ったという[1]。
作品
脚注
- 「御維新で上野の戦争のあつた時は、弟子の年景をつれて見に行つたそうです。五月のことですから、裸か(原文ママ)で行つたそうです。そして空家の中で弁当をたべたといふ話です」。『浮世絵界』第五巻七号(昭和15年7月)、「芳年追憶談(三)」23頁より。
参考文献
- 瀬木慎一編 『肉筆浮世絵の華 歌川派の全貌展』 東京新聞、1980年
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 浮世絵太田記念美術館編 『歌川国芳とその一門展』 浮世絵太田記念美術館、1990年 ※69頁、73頁
- 西井正氣編 『月岡芳年展』 日本経済新聞社、1995年 ※141頁
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