釜口峡
概要

釜口峡を描いた歌川広重の『富士川上流雪中の図』

中央が瀬戸島でその北東の狭窄部が釜口峡。北西方向に富士山がある。
三大急流と言われる富士川の中でも、急激に川幅が狭まく、急流となっている箇所である。富士川の最大の難所であった。
歴史
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かつての釜口峡(明治時代)
現在の釜口サイフォン橋がある付近。後は白鳥山で、宝永地震により大崩壊を起こし、崩壊土砂が富士川を堰き止めた。
現在の釜口サイフォン橋がある付近。後は白鳥山で、宝永地震により大崩壊を起こし、崩壊土砂が富士川を堰き止めた。
川幅の狭さを利用し、古くから簡素な橋がかけられていた。河川舟運における難所のため船頭が大声で経を唱えたといわれている[2]。
脚注
- 静岡大学 小山真人のツイート、2018年11月閲覧
- 収蔵品紹介: 富士川・釜口峡 - 富士山かぐや姫ミュージアム、2018年11月閲覧
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