鈴木哲夫 (実業家)
人物・経歴
愛知県瀬戸市生まれ[1]。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。
1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格[2]。
1970年代表取締役社長に復帰[3][4]。1984年に社名をHOYAに改称し、光エレクトロニクスの高収益企業に飛躍させ、同社中興の祖とされる[2]。HOYA代表執行役最高経営責任者の鈴木洋は子[5]。1987年からはニューガラスフォーラム初代会長も務めた[6]。
1993年、創業者山中茂の長男・山中衛に社長を譲って自身は会長に退いたが、2000年に自身の解任とともに衛も解任し、自身の長男・山中洋を社長に就任させた[2]。一方で、米国流コーポレートカバナンス(企業統治)に倣い、2003年にHOYAを委員会設置会社に移行し取締役8人のうち社外取締役5人という構成に変えた[2]。この間、1996年から企業研究会会長[7]。
2015年肺炎のため死去。享年90[8]。ホテルニューオータニ鶴の間でお別れの会が行われた[9]。その後、国税庁東京国税局から相続財産約90億円の申告漏れが指摘された[10]。
家族
出典
- ビジネス哲学研究会 「[決定版]心に響く名経営者の言葉: 決断力と先見力を高める」
- あの「剛腕」名経営者の決定的汚点!追い出した創業家と壮絶バトル中に死去Business Journal 2015.08.06
- HOYA第46期有価証券報告書
- 経済界 「君に100の成功を贈る」
- HOYA・鈴木CEO「日本の会社は変わらなきゃ」 日経ビジネス
- 沿 革 ニューガラスフォーラムの歩み ニューガラスフォーラム
- 昭 和
- 「元HOYA社長の鈴木哲夫さん死去」 朝日新聞デジタル2015年6月19日 0時02分
- 元HOYA社長・故鈴木哲夫さんのお別れの会 朝日新聞デジタル2015年7月17日
- HOYA元社長遺族が申告漏れ ロイター通信2021年4月18日
- HOYA山中・鈴木家系図近現代系図ワールド
- 『人事興信録』38版下、山中衛
- 『人事興信録』43版下、山中徹
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.