鈴木弘一

鈴木 弘一(すずき こういち、1956年1月7日 - )は静岡県出身のプロゴルファー

 鈴木 弘一 
Koichi SUZUKI
基本情報
名前 鈴木 弘一
生年月日 (1956-01-07) 1956年1月7日(68歳)
身長 171 cm (5 ft 7 in)
体重 70 kg (154 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県
経歴

来歴

沼津市立第五中学校卒業[1]

1976年のプロ入り以来苦労が多く、一時はツアープロを諦めて転職したこともあったが、夫人の励ましで復帰[1]1984年にシード権を得てからは、多少の浮沈はあったもののシードを手離さず、外国人選手が多く出場する秋のトーナメントになると爆発的スコアを出して日本勢の牽引車になる活躍で人気を高めた[1]

1982年群馬県オープンでは2日目に土山録志長谷川勝治と並んでの5位タイ[2]に着け、最終日には河野高明と並んでの6位タイ[3]に入り、1983年のマンシングクラシックでは泉川ピート小林富士夫と並んでの6位タイ[4]に入った。

1984年の日本オープンでは最終日に重圧から4ボギーの上原宏一に代わり、6打差4位から首位に立つ[5]。鈴木は7番から4連続バーディーを奪うなど、一時は6アンダーまで伸ばして初優勝に近づいていたが、13番でグリーンを少し外したラフからの3打目、近いピンに寄せようとした結果、クラブヘッドがボールの下をくぐってしまう[5]。次のショットでも同じことが起こり、ようやく5打目で乗せて2パットで、上原の再逆転を許して2位に終わる[5]

同年のカシオワールドオープンでは3日目に日本勢で最高の通算7アンダーで3位タイとなる[6]

1985年5月虫垂炎の手術を受けて、復帰5戦目の日本プロでは2日目に4アンダー69のベストスコアで回って通算5アンダーで首位に立つ[7]。最終的には尾崎健夫金井清一に次ぐと同時に倉本昌弘宮本康弘青木功を抑え、山本善隆尾崎将司出口栄太郎と並んでの3位タイに入った[7]関東プロでは2日目に酷い濃霧により途中で競技中止となり、スコアは全て白紙となったため、ダボ、ボギーでスタートしていった鈴木は大喜びで息子と沼津の今沢海岸までタコ釣りに出かけた[8]。最終日には中嶋常幸との争いになったが、中嶋の1組前を行く鈴木が先手を取る[8]。16番、187ヤードのパー3で6mを放り込んでトータル4アンダー、次の17番、460ヤードのパー4で、グリーン左のラフからおいしいチップインバーディを奪って5アンダー[9]。意気揚々と18番、566ヤード、パー5のティグラウンドに向ったが、3mのバーディパットを外し、中嶋のホールアウトを待つことになった[10]。結局1打リードしてホールアウトした後に中嶋にチップイン・イーグルを決められ逆転される[11]が、同年の日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞[12]

1986年にはよみうりサッポロビールオープンで3日目に67のベストスコアをマークして通算15アンダーで首位に立つと、最終日も持ち前の強気なゴルフでスコアを伸ばし、通算19アンダーでプロ入り初優勝を果たす[13] [14]

同年の日本プロマッチプレーでは準々決勝で金井をエキストラ20ホール目までもつれ込んだ末に振り切り、準決勝では中嶋を粘りで苦しめさせる[15]。中嶋は前半を3アップで折り返し、後半も4番まで3バーディーで一時6アップとしたが、残り9ホールになって鈴木が反撃[15]。10番から3連続でアップし、中嶋のリードは2アップとなるが、迎えた17番パー3で中嶋は5mのバーディーパットを決め、35ホール目に3-1で振り切った[15]。試合後に鈴木は「簡単に勝たせちゃ面白くない。少しいじめてやろうと思いました」とコメントし、一方の中嶋は「危なかった。曲者に危うくやられるところだった」と、ほっとした表情を見せた[15]

同年には倉本の代役[16]で4ツアーズ世界選手権日本代表に選出され、個人戦で世界の強豪を相手に[17]初日5アンダーの首位タイ[16]と好成績を残し、日本の優勝に貢献。

1987年には高橋と共にワールドカップ日本代表に選出され、鈴木は個人でイアン・ウーズナムウェールズ)、サンディ・ライルスコットランド)に次ぎ、ベン・クレンショーアメリカ)、アルマンド・サーベドラアルゼンチン)、ローナン・ラファティアイルランド)、謝玉樹中華民国)、オベ・セルバーグスウェーデン)、ハワード・クラークイングランド)、ロジャー・デイビスオーストラリア)を抑えての3位と健闘。

同年のVISA太平洋クラブマスターズでは3日目に10アンダーで首位に立ち[18]、日本勢では新井規矩雄に次ぎ、イアン・ベーカーフィンチ(オーストラリア)と並んでの6位タイであった[19]

思い切りのいいスイングで1980年代から90年代のツアーを沸かせ[20]1989年は開幕戦の静岡オープンを通算3アンダーで優勝すると[21]中日クラウンズでは2日目にグレッグ・ノーマン(オーストラリア)と首位に並ぶ[22]など2位タイ[23]マルマンオープンでは3日目の18番でバーディーパットを決めて首位を守り2勝目を挙げる[24] [25]

1991年にはフジサンケイクラシックで3日目まで5アンダーで首位を守って[26]芹澤信雄尾崎健夫と並んでの5位タイに入り[27]NST新潟オープンでは3日目に首位に返り咲く[28]などし2位タイ[29]、大京オープンでは2日目に7アンダーとスコアを伸ばして[30]4位タイ[31]であった。三菱ギャランで青木・中嶋を競り落として優勝し、賞金ランク9位になった[1]

1992年の日本プロでは2日目にミスらしいミスもなく通算5アンダーで倉本と並んで首位に立ち、最終的には倉本・中嶋に次ぐと同時にバレント・フランクリンカナダ)、佐々木久行ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、室田淳新関善美杉原輝雄デビッド・イシイ(アメリカ)、山本を抑え、稲垣太成と並んでの3位タイに入る[32]。同年の日本プロマッチプレーでは湯原信光牧野裕日本大学出身勢を撃破して準決勝に進出するが、中嶋との準決勝は、序盤に中嶋が6番までに3アップして優位に立ち、16番からは6連続バーディーを奪って決められるなど一方的な試合で敗退[33]

1993年の日本プロマッチプレーでは2年連続で準決勝に進出し、3年連続準決勝進出の中嶋と対戦[34]。当日は36ホールマッチの予定が台風接近により18ホールに短縮され、アメリカ遠征中に痛めた左の状態が気になる中嶋にとっては朗報かとも思われたが、前年の準決勝で8-7の屈辱を味わった鈴木が奮起[34]。3-2で中嶋へのリベンジを果たし、初の決勝を決めた[34]。山本との決勝は、山本が残り50ヤードほどの3打目をバンカーに入れてしまったが、芝の薄いライで、そのミスショットを見た観客から「それでもプロかよ」というような声が飛んだ[34]。それでも山本は何事もなかったかのようにやりすごし、バンカーショットを寄せてパーセーブしたが、一方で当事者ではない鈴木が観客の心無い声に過敏に反応し、腹を立てた状態でバーディーパットに向かってしまった[34]。その結果、打ちすぎて大きくオーバー[34]。思わずサンバイザーを叩きつけて悔しがる[34]。返しも外してボギーとなり、流れが山本へと傾いた[34]。続く23ホール目、さらには25ホール目で山本がバーディーを奪って差を広げると、鈴木の心が乱れていること察知して冷静にここが勝負どころと畳み掛ける[34]。結果は3-2で山本の勝利となり、ポーカーフェイスを貫いた山本と感情が表に出てしまった鈴木の心理面で明暗が分かれた形となった[34]

2000年サン・クロレラクラシック[35]を最後にレギュラーツアー、2002年のJGTO iiyama チャレンジ I[36]を最後にチャレンジツアーから引退。

2006年からはシニア入りし、シニアツアー6試合に出場してファンケルクラシック9位タイがベストであったが、全試合で予選を突破する成績で賞金ランク22位とした[37]

現在は富士市の富士川ゴルフセンターでレッスンを担当[38]

主な優勝

  • 1985年 - 平尾昌晃プロアマチャリティ
  • 1986年 - よみうりサッポロビールオープン
  • 1987年 - 平尾昌晃プロアマチャリティ
  • 1989年 - 静岡オープン、マルマンオープン
  • 1990年 - 名球会ゴールデンスターチャリティ
  • 1991年 - 三菱ギャラン

脚注

  1. 鈴木 弘一選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  2. 朝日新聞縮刷版p680 昭和57年7月18日朝刊16面
  3. 朝日新聞縮刷版p714 昭和57年7月19日朝刊18面
  4. 朝日新聞縮刷版p240 昭和58年11月7日夕刊12面
  5. 第49回日本オープンゴルフ選手権(1984年)
  6. 1984年11月24日 カシオゴルフ第3日
  7. 第53回日本プロゴルフ選手権(1985年)
  8. 高橋三千綱『あの一打 勝負を決めたあの一打は、まるで人生のように熱く、激しく、重かった』日本ヴォーグ社、1997年6月1日、ISBN 4529029212、p247。
  9. 『あの一打 勝負を決めたあの一打は、まるで人生のように熱く、激しく、重かった』、pp247-248。
  10. 『あの一打 勝負を決めたあの一打は、まるで人生のように熱く、激しく、重かった』、p248。
  11. 2006年シニア選手紹介
  12. 鈴木 弘一 スズキ コウイチ KOICHI SUZUKI
  13. 鈴木弘一 男子プロゴルファー サッポロビールよみうりオープン 最終日 プロ入り初優勝
  14. 1986年06月22日 よみうりオープン最終日
  15. 第12回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1986年)
  16. 鈴木弘一 男子プロゴルファー ニッサンカップゴルフ世界選手権 第1日
  17. 1986年11月06日 ニッサン杯ゴルフ第1日
  18. 鈴木弘一 男子プロゴルファー VISA太平洋クラブ・マスターズ 第3日(著作権・スポニチ)
  19. フルリーダーボード - VISA太平洋クラブマスターズ 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  20. プロゴルファーのアテンド・サービス|CLUB ALBA (クラブ・アルバ)
  21. 鈴木弘一 男子プロゴルファー 静岡オープン 最終日 優勝(著作権・スポニチ)
  22. 鈴木弘一 男子プロゴルファー 中日クラウンズ 第2日
  23. G・ノーマン、底力を発揮して貫録勝ち
  24. 鈴木弘一 男子プロゴルファー マルマンオープン 第3日(著作権・スポニチ)
  25. 鈴木弘一 男子プロゴルファー マルマンオープン 最終日 優勝(著作権・スポニチ)
  26. 鈴木弘一 男子プロゴルファー フジサンケイクラシック 第3日(著作権・スポニチ)
  27. フルリーダーボード - フジサンケイクラシック 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  28. 鈴木弘一 男子プロゴルファー NST新潟オープンゴルフ 第3日(著作権・スポニチ)
  29. フルリーダーボード - NST新潟オープン 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  30. 鈴木弘一 男子プロゴルファー 大京オープン 第2日(スポニチ撮影)
  31. フルリーダーボード - 大京オープン 1991 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  32. 第60回日本プロゴルフ選手権(1992年)
  33. 第18回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1992年)
  34. 第19回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1993年)
  35. 鈴木 弘一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  36. 鈴木 弘一選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  37. 2007年シニア選手紹介
  38. スクール | 富士川ゴルフセンター

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.