銅屋新右衛門
山下吹
戦国時代当時、中国・四国・九州各地の銅山は、既に採掘年代が古かったため、含銅量および品位の高い酸化銅を多く含む部分は掘り尽くされ、残るは品位の著しく低い硫化銅の含有量が高いものであった[2]。そのため、旧来の製錬法にては鈹湯の量が少なく、そのまま真吹を続行するのが難しくなっていた[2]。
新右衛門が考案したとされる山下吹は、酸化製錬法の一つで、まず鍰を除きながら素吹に達し、一旦銅鈹を剥離させる[2]。一旦作業を中止し、上記の方法を反復し、銅鈹を集め、適量に達すると炉に装入し、木炭の火力によって熔融させ硫黄分および鉄分を除去し、粗銅を作る[2]。
この山下吹の開発により、銅貨の発行および貧鉱の開発が進んだ。
脚注
出典
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『銅屋新右衛門』 - コトバンク
- 『日本鉱業史要』西尾銈次郎、2018年9月4日閲覧。
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