鍋沢ワカルパ
経歴・人物
日高地方の平取紫雲古津にユーカラ伝承者の家系として生まれる[1][2]。ワカルパの弟は同地の首長を務めていたウトムリウクであった[1][2]。1913年(大正2年)に上京し[1]、当時アイヌ語を研究していた金田一京助の自宅に半年間滞在し[1][2][3]、金田一家とともにアイヌ語を日本語に翻訳して記録した[4]。その記録されたユーカラやアイヌ語が『虎杖丸の曲』・『蘆丸の曲』として刊行された[2][4][3]。
その後は白内障を患い失明するも[2][4]、ワカルパは絶望せずユーカラ伝承や釧路[2]、国後に伝わる昔話の研究や執筆に携わり金田一から「アイヌのホメーロス」と呼ばれた[1][2]。晩年は当時流行していたチフスの収束祈願に貢献したが[4]、自身も感染して急逝した[4]。
著書
- 『虎杖丸の曲(クツネシリカ)』
- 『蘆丸の曲(シュプネシリカ)』
脚注
注釈
- 生年には諸説がある。
出典
- “鍋沢ワカルパ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2022年2月6日閲覧。
- “鍋沢ワカルパ”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。
- 「ユーカラ集 : アイヌ叙事詩 第8」国立国会図書館デジタルコレクション
- “鍋沢ワカルパ”. 日本大百科全書(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.