長井亜歴山
長井 亜歴山(ながい あれきさん[1]、1877年(明治10年) - 1966年(昭和41年))は、日本の外交官。弁護士。東京帝国大学卒業。
ながい あれきさん 長井 亜歴山 | |
|---|---|
| 生誕 |
長井 亜歴山 1877年 |
| 死没 |
1966年(88 - 89歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学 |
| 配偶者 | 長井多計代(妻) |
| 子供 | 長井貞義(長男) |
| 親 |
長井長義(父) テレーゼ・シューマッハ(母) |
| 親戚 | 目賀田種太郎(義父) |
| 家族 | 長井琳章(祖父) |
生涯
1877年(明治10年)、近代薬学の開祖である長井長義とドイツ人女性のテレーゼ・シューマッハの長男として生まれる[2]。亜歴山は東京帝国大学を卒業後は外交官となり、6ヶ国語に精通した[3]。また勝海舟の孫で、目賀田種太郎の次女・多計代(たけよ)と結婚した。
駐ドイツ日本国大使館付商務官となり、第二次世界大戦のベルリン陥落後はアメリカ軍によりワシントンD.C.に連行された。終戦後は弁護士として活動し、晩年は父の生まれ故郷である徳島県で暮らした。ドイツの石材を使った晩年の住まいは徳島市の八坂神社の所有となり、現在は鳴門市の花見山にある「心の手紙館」として使われている[2]。
1966年(昭和41年)、死去。ベルリン時代には日本人演奏家を支援したり、竹久夢二や東山魁夷などを招いて、自邸で日本画講習会を開いたりするなど日独交流に努めた。
著書
脚注
- 別名は長井アレキサンダー。
- “花見山心の手紙館”. 鳴門市うずしお観光協会. 2021年10月18日閲覧。
- “鳴門市大毛島の花見山”. とくしま消費者交流ひろば. 2021年10月18日閲覧。
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