長福寺 (東京都北区)
歴史
1492年(明応元年)、湛桑大徳によって開山された。当初は浄土真宗(高田派)の寺院であったが、1627年(寛永4年)に幕府の問い合わせに対して、当時の住職玄昌は誤って「浄土宗」と答えてしまったため、そのまま増上寺を本山とする浄土宗の寺院にされてしまい、玄昌も浄土宗に改宗して「頓蓮社相誉玄昌」と改名した[1]。
元々は神田に位置していたが、1806年(文化3年)の文化の大火で、浅草松葉町(現・台東区松が谷)に移転した[2]。
江戸時代は、紀州藩初代藩主徳川頼宣の幼名が「長福丸」だったため、遠慮して院号の「慈眼院」を通称としていた(避諱)[2]。
交通アクセス
- 赤羽駅より徒歩3分。
脚注
- 昌平坂学問所 編『御府内備考続編』
- 東京都北区教育委員会 編『北区の仏像(東京都北区仏像彫刻調査報告書 文化財研究紀要別冊第13集)』東京都北区教育委員会、1999年、122,190p
参考文献
- 昌平坂学問所 編『御府内備考続編』
- 東京都北区教育委員会 編『北区の仏像(東京都北区仏像彫刻調査報告書 文化財研究紀要別冊第13集)』東京都北区教育委員会、1999年
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