延平郡王祠
概要
台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。1875年には、清朝の大臣・沈葆楨によって福州式建築の新しい祠が建てられた。
日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されている。
脚注
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