関崎
歴史
古くから航海の難所として知られ、役小角がここで激しい波浪に遭い難破しそうになった時に般若心経を唱えると地蔵菩薩が現れて波風がおさまったという伝説がある。養老年間(717年 - 724年)には、現在「波除け地蔵」呼ばれている地蔵尊が安置され、これに因んでこの岬が地蔵崎と呼ばれるようになった[1]。
また、奈良時代の716年(霊亀2年)頃には「戍」(じゅ)と呼ばれる関が置かれて往来する船とその積み荷を制限し、山上には烽(とぶひ)が置かれたという。『肥後国志』は、藤原純友が反乱(承平天慶の乱)を起こした際に、佐賀関を通行するすべての船を臨検したことから、「関」の名が興ったと伝える[2]。
関埼灯台
詳細は「関埼灯台」を参照
1901年(明治34年)7月20日に初点灯した大分県最古の灯台。関崎の突端に位置し、1918年(大正7年)4月に竣工した対岸の佐田岬灯台とともに、瀬戸内海と外洋とを結ぶ狭水路である豊予海峡の航行に現在も重要な役割を果たしている。
脚注
- 関埼灯台と逸話 第七管区海上保安本部大分海上保安部
- 矢野彌生「海部の地理 7 : 臼杵と佐賀関」『佐伯史談』第160巻、佐伯史談会、1992年6月、33-42頁、CRID 1050001337653735808、NAID 120002740542。
外部リンク
- 大分県自然ガイドブック-佐賀関町高島及び関崎周辺地域の自然
- 関崎海星館
- 関埼灯台 - 第七管区海上保安本部
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