雀部兄子
経歴
称徳朝の天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱後の論功で、弓削耳高・田部男足・秦智麻呂・内蔵若人・美努奥麻呂・秦伊波太気・大原家主・津真麻呂・大部不破麻呂・建部人上・桑原足床らとともに正六位上から外従五位下に叙せられている[1]。その後も称徳朝で順調に出世し、内薬佑とともに参河員外介を兼任し、神護景雲3年(769年)8月、内薬正に任じられている[2]。
光仁朝における動静は伝わっていない。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
- 『続日本紀』巻第二十五、廃帝 淳仁天皇 天平宝字8年10月7日条
- 『続日本紀』巻第三十、称徳天皇 神護景雲3年8月19日条
参考文献
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