難波村
難波村(なんばむら)は愛媛県風早郡のち温泉郡にあった村である。1951年(昭和26年)に南隣の正岡村とともに北条町に新設合併し、自治体としては廃止された。その後、北条市を経て、現在は松山市の一部。地域名としては、小学校名などとして今日まで受け継がれている。
| なんばむら 難波村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1951年4月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 北条町、難波村、正岡村 → 北条町 |
| 現在の自治体 | 松山市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 四国地方 |
| 都道府県 | 愛媛県 |
| 郡 | 温泉郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 |
3,237人 (国勢調査、1950年) |
| 隣接自治体 | 北条町、正岡村、立岩村、浅海村 |
| 難波村役場 | |
| 所在地 | 愛媛県温泉郡難波村大字中通 |
| 座標 | 北緯33度59分00秒 東経132度47分32秒 |
| ウィキプロジェクト | |
地理
高縄半島の西部、現在の松山市の北部、旧北条市の北に接する。高縄山系の北三方が森に源流を発する立岩川の右岸下流。村の北西部では高縄半島の西麓の山々が瀬戸内海(斎灘)に突き出し波妻の鼻という岬を形成、周囲は磯海岸を形成している。一方、立岩川の河口付近は砂浜[1]を形成している。 北には特徴ある山容を見せる腰折山、恵良山などが浅海村との間に横たわる。このため、浅海村との行き来には峠道を通る必要があったが、1911年(明治44年)に県道として今治街道が開通し海岸線通りを用いることができるようになった。
社会
地域・集落
合併・発足前の旧4村がそのまま大字として継承。
- 庄(しょう)[3]、中通(なかどおり)、上難波(かみなんば)、下難波(しもなんば)
- 大浜(現在ではJR四国の大浜駅がある)は大字下難波に属する一つの字であった。長浜、城脇、家ノ谷、兎ケ城、長谷などの地区がある。
集落は主として村の北側に横たわる山地の麓付近に立地しており、古寺もあり古くから形成された集落であることがうかがえる。集落の南側、立岩川との間には水田が広がる。
今日もほとんど都市化・市街化の波には洗われていない地域である。
産業
農業を生業とした。腰折山や恵良山の山腹から麓にかけての一帯は大正期前期にナシの栽培が盛んであった。柑橘類の栽培はそれからやや時期が経ってから盛んになった。
脚注
- 後年、海水浴場などもつくられ、現在では通称モンチッチ海岸と呼ばれている。なお、河口から北、波妻の鼻に隣接する長浜の砂浜(道の駅の前)は人工的に形成されたもの。
- 他は粟井、河野、高田、那賀
- 庄の大部分は難波村に帰属したが、一部は立岩村に合流した
- 国勢調査結果から、旧難波村に属する地域を抜き出して集計したもの
- 難波小学校の沿革(同校ホームページより) https://nanba-e.esnet.ed.jp/history
- 難波村・正岡村が北条町と合併したのは1951年(昭和26年)であるため、当初は「組合立」として発足。「北温」(ほくおん)は温泉郡の北部という意味で、正岡村を含む旧北条市地域一帯の呼称。
- 校舎建設の関係から1966年は「名目統合」で、2年後の3月に校舎完成、翌4月に「実質統合」された。北条北中学校の沿革による。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.