難波津 (和歌)
概要
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合ったため、3年間も空位となっていたが、のちに難波高津宮において大鷦鷯尊が即位して仁徳天皇となった際、その治世の繁栄を願って詠まれた歌とされている。なお、この歌に詠まれている花は桜ではなく梅である。
仮名序で安積山の歌と並んで「手習ふ人のはじめにもしける」と言われたように、古来書道の初学としても用いられた。実際に徳島県の観音寺遺跡から、万葉仮名で「奈尓波ツ尓昨(佐)久矢己乃波奈」と記された7世紀のものとみられる習書木簡[1]が出土しているのをはじめ、各地から数多くこの歌を記した木簡が出土している[2]。平安時代には「難波津の歌」と言えば「誰でも知っている歌」の代名詞となっていた。
競技かるたにおいては競技の開始時に難波津の歌を詠むことが通例となっているが、決まり字の「いまは」との混同を避けるため、四句は「今“を”春べと」に変更されている。
脚注
- アワコウコ楽サイト内の木簡写真(徳島県立埋蔵文化財総合センターによる一般向けの考古学サイト)2013年1月7日閲覧
- 佐藤信 (2002) pp.168-173
- 『大阪府/大阪のシンボル』、2015年8月18日閲覧。
参考文献
- 佐藤信「地方官衙と在地の社会」同編『日本の時代史4 律令国家と天平文化』、吉川弘文館、2002年、ISBN 4642008047
- 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』、角川書店、1983年
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.