鞍部堅貴
評価
楽敏は、「推古帝十五年(607年)、正使・小野妹子、通訳・鞍作福利などで構成される第二次遣隋使節団が組まれた。鞍作福利は、まさに帰化漢人の後裔である。その先祖の鞍部堅貴は、倭王・武、即ち雄略帝時代に、大和地方の上、下桃原一帯に移住した。後に鞍作氏は蘇我氏と良好な関係を持つに至り、蘇我氏に鞍作臣と呼ばれるようになった。関係の深さは、この一事をもってしても明確である。かくして鞍作氏一族は、飛鳥文化の発展過程に積極的な役割を果たしたのである」と評している[3]。
脚注
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