韓滌魯
経歴
幼いころ宮中で養育され、小将軍の位を受けた。重熙初年、北院宣徽使・右林牙・副点検を歴任した。惕隠の位を受け、西北路招討使となり、漆水郡王に封じられた。軍籍にある者3280人を削減するよう請願した。後に回鶻の使者から獺の毛裘を、阻卜から貢物を横領し、事が発覚して杖罰を受け、官爵を剥奪された。まもなく北院宣徽使として再起した。重熙19年(1050年)、烏古敵烈部都詳穏となった。まもなく東北路詳穏となり、混同郡王に封じられた。
清寧初年、鄧王に徙封され、南府宰相に抜擢された。老年のため隠退を願い出て、さらに韓王に改封された。咸雍7年(1071年)に死去した。享年は73。
伝記資料
- 『遼史』巻82 列伝第12
- 耶律宗福墓誌銘
- 孔寧敵烈太保墓誌
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