韓静観
経歴
靖康の変の際、17歳だった韓才人は金軍の俘虜となり、凌辱を受けて妊娠させられた。金の上京へ連行された韓才人は、天会5年12月21日(西暦で1128年)に男児を生んでいるが、この男児はすぐに亡くなった。同じく欽宗の妃嬪である朱慎徳妃や才人鄭慶雲・才人狄玉輝らも妊娠させられている。
のちに、完顔斜保(完顔宗翰の次男)の妾とされた。このとき、欽宗の3人の夫人(盧順淑[1]・戚小玉[2]・鮑春蝶[3])も斜保の妾とされた。
伝記資料
- 『靖康稗史箋證』
脚注
- 靖康の変の際には16歳。
- 靖康の変の際には19歳。
- 靖康の変の際には18歳。
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