高城胤忠
生涯
胤忠に関する史料がほとんど残されていないため、その経歴・活動に関しては不明な点が多い。
『快元僧都記』によると、永正14年(1517年)、後の小弓公方・足利義明が小弓城の小弓原氏を攻めて陥落させると、その家臣であった高城氏の「越前守父子」が死亡、「同下野守」が逐電したという[2][3][4]。この下野守は胤忠のこととされており、この後西下総に移って小金城に入城し、高城氏の嫡流として勢力をふるったという[2]。小弓公方と古河公方の抗争では、古河方につき、戦いの最前線を守った。国府台の戦いで足利義明が倒れると、それまで主人であった原氏から自立し、「小金領」と呼ばれる領地を支配した。1546年(天文15年)4月25日、小金城で没する[2]。
参考文献
- 千野原靖方『戦国房総人名辞典』崙書房出版、2009年。ISBN 978-4-8455-1153-2。国立国会図書館書誌ID:000010606583。
- 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂、2006年9月。ISBN 4-490-10696-3。国立国会図書館書誌ID:000008342636。
- 松戸市立博物館『小金城主高城氏』(補訂版)松戸市立博物館、1996年10月10日。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.