高野孟矩
生涯
法曹として
1880年(明治13年)に大木の推薦により検事に任用され、大阪上等裁判所、島根県松江裁判所等で勤務した。
1891年(明治24年)札幌裁判所長、1894年(明治27年)新潟地方裁判所長を歴任した。
1896年(明治29年)5月13日、初代台湾総督府高等法院長に就任、台湾総督府民政局法務部長も兼任した。
同年6月7日、首相伊藤博文、海相西郷従道、台湾総督桂太郎らと共に巡洋艦吉野で台湾に赴任。
1897年(明治30年)、台湾総督府高等法院長の職にあった高野孟矩は乃木希典台湾総督の上奏を受けた内閣により10月1日非職を命ぜられた。高野は非職の命令に対し違憲であるとして抵抗を繰り返した結果、当時の内閣総理大臣であった松方正義により12月18日付で懲戒免官、正五位返上を申し付けられ[1]、最終的に警察の力を以て庁舎から排除されることとなった(高野孟矩非職事件)。
参考文献
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