高雄港

高雄港(たかおこう/カオシュンこう、英語: Port of Kaohsiung中国語: 高雄港)は、中華民国台湾)最大のおよそ1000万の20フィートコンテナを扱い[1]、世界第12位(2012年現在)の取扱量を誇る[2]台湾を代表する港湾である。台湾の南端に位置しており、鼓山区塩埕区苓雅区前鎮区小港区旗津区に囲まれて高雄市に隣接している。中華民国交通部から分割された台湾港務株式会社高雄港務支店によって管轄されている。

高雄港
高雄港
所在地
中華民国の旗 中華民国台湾
所在地 高雄市
座標 北緯22度21分00秒 東経120度10分23秒
詳細
開港 1858年
管理者 台湾港務株式会社 高雄港務支店
種類 商港、軍港漁港
泊地面積 15,865 ha
陸地面積 1,871 ha
面積 17,736 ha
埠頭数 116
統計
統計年度 2013年
発着数 17,646 隻
貨物取扱量 115,034,300 トン
コンテナ数 9,937,719 TEU
公式サイト https://kh.twport.com.tw/
1番入り口
2番入り口

歴史

この港は、人々が近代的な港に開発する前は自然のラグーンであった。16世紀当時、いくつかの村が現代の高雄(当時"Takau" ターカウと呼ばれていた)の海岸に形成された。オランダ東インド会社の植民地の住民が1620年にTakauへ到着し、その後ラグーンの開発を始めた。港は"Takau Port"(打狗港)と呼ばれ、オランダ統治時代鄭氏政権時代、初期の清朝統治時代にだんだんと成長していった。

1858年に清はフランスイギリスの連合軍にアロー戦争で敗れ、天津条約に調印した。条約によると、清政府は外国との貿易のために台湾の5つの港を開くよう要求された。5つの港のうちの一つとして1864年打狗港は公式に開かれた。その後、日清戦争に負けた清政府は1895年に台湾を日本へ譲渡した。

初期の日本統治時代台湾総督府は打狗港を近代的な港へ開発するつもりで大きなプロジェクトを引き受けることを決めた。日本は3段階に港を拡張し、最初の工事は1908年、2番目は1912年に終了し、3度目は第二次世界大戦によって中断された。この間、1920年に打狗(ターカウ)は高雄(たかお)に改称された。第二次世界大戦中、高雄港は連合国により酷く爆撃された。

戦争後、中華民国政府は港の開発を再度始め、ラグーンの内部で臨海工業地区を開発した。第二の港口となる"second port"が1975年小港区旗津区の間にかかる橋を壊すことで建設された。

地図

脚注

  1. 應用統計分析報告: 七港營運實績分析”. Keelung Harbor Bureau. 2008年6月3日閲覧。
  2. 高雄港がUNCTAD「世界の港湾別コンテナ取扱量」ランキングで第12位 - 台北駐日経済文化代表処 台北駐日經濟文化代表處

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関連項目

外部リンク

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