鴨祐之
経歴・人物
鴨祐永の子として京都に生まれる。若くして下鴨神社(賀茂御祖神社)の禰宜となり、正三位に叙せられた。後に山崎闇斎の門人となり、垂加神道や国学を学ぶ。
1694年(元禄7年)に、下鴨神社の衰退に陥った事を朝廷に申して、16世紀初期から中断していた同神社の「葵祭」の再興に携わり、垂加神道における代表的な神職となった。同時期に和歌古学もよくし、多くの著書を刊行した。没後、西園寺(京都市上京区)に祐之の墓が建てられた。孫に鴨祐為(梨木祐為)がいる。
主な著作物
- 『大八洲記』
- 『神代和解』
- 『日本逸史』- 全40巻からなる『日本後紀』の残欠書。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.