黒田征太郎

黒田 征太郎 (くろだ せいたろう、1939年昭和14年〉1月25日 - ) は、日本イラストレーターグラフィックデザイナー

くろだ せいたろう

黒田 征太郎
生誕 (1939-01-25) 1939年1月25日(85歳)
日本の旗 日本大阪府大阪市
中央区道頓堀
出身校 滋賀県立彦根西高等学校中退
職業 イラストレーターグラフィックデザイナー

日本工学院専門学校グラフィックデザイン科顧問。ニューヨーク在住を経て2009年より福岡県北九州市在住。陶芸家黒田泰蔵は弟。

来歴

大阪府大阪市中央区道頓堀出身。出生後に兵庫県西宮市に移り住み育った。1945年神戸市空襲から帰還途中のB29爆弾で自宅が被災し、滋賀県神崎郡能登川町 (現・東近江市能登川町)に疎開する。滋賀県立彦根西高等学校へ進学するが中退。1961年早川良雄デザイン事務所勤務を経て、1966年渡米。帰国後の1969年に親友の長友啓典ケイツー(K2)を設立する。2009年4月、福岡県北九州市門司区門司港に転居[1]

クレヨンしんちゃんの作者・臼井儀人が死去した際、中国香港台湾のメディアに誤って黒田の写真が掲載されたことがあった[2][3]

活動

音楽に合わせて素手で絵を描いていくライブペインティングやホスピタルアートをライフワークにしている。これらは黒田が太平洋戦争アメリカ合衆国滞在時の交通事故の体験が基盤になっている。また、平和運動も積極的に行なっており「ピカドンプロジェクト」を広島長崎沖縄などで開催し、平和に関するイラストを描くなどの活動をしている。

地球上の生命は全て同じ・・・全てが生きる権利をもっている」との発言がある。

受賞歴

作品

絵本

  • ぼくみたんだ 2003年 アートン
  • ぼくみたんだ2 2004年 アートン
  • ぼくみたんだ3 2005年3月 アートン

絵本以外に長友啓典との共著も数冊あり。

ロゴ

映画

企画・製作など映画の世界にも深く関わっている。下記は黒田がカメオ出演した映画。

音楽

1971年に行われた岡林信康の『岡林信康 自作自演/30曲 狂い咲きコンサート』のポスターおよび、その模様を収録したCD『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』のジャケットのアートワークも手がけている。

ラジオ

  • 黒田征太郎の人間起承転結(KBS京都ラジオ)土谷多恵子[5]

みんなのうた

ディスコグラフィ

シングル

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
フィリップス・レコード
1971年 EP FS-1172 A 青春番外地 かつら修 みなみらんぼう 馬飼野俊一
B 愛の対話 葵まさひこ
日本コロムビア
1975年7月 EP AA-133 A 波止場町エトランゼ 岡林信康 馬場良
B 望郷渡り鳥
RCAレコード
1980年 EP RVS-1216 A PIMP(ヒモ) 千家和也 黒住憲伍 高田弘
B えらいスンマセン 猪俣公章

アルバム

発売日 規格 規格品番 アルバム
RCAレコード
1980年 LP RVL-15007 中年歌はじめ~酒と女にひきずられ~

Side:A

  1. PIMP(ヒモ)
  2. あいつの面がまえ
  3. 想い出ブルース
  4. グラスの重み
  5. 失くしたものが多すぎたから

Side:B

  1. えらいスンマセン
  2. 釧路の女
  3. ガキだったから
  4. 酔えば酔ったで
  5. 水平線の歌

脚注

出典

  1. 共同通信47NEWS黒田征太郎さん、北九州市門司港に転居 佐木さんと対談
  2. 各メディアが一斉に「クレヨンしんちゃん」作者とは別人の写真を掲載!日本人ファンの指摘で謝罪―中国 ”. Record China (2009年9月23日). 2019年5月30日閲覧。
  3. 臼井儀人氏、中国メディアが写真を間違えて報道 ”. 人民網日本語版. 人民日報 (2009年9月24日). 2019年5月30日閲覧。
  4. 鈴木則文、宮崎靖男、小川晋 『映画「トラック野郎」大全集:日本最後のアナーキー・プログラム・ピクチャーの伝説』 洋泉社〈別冊映画秘宝 洋泉社MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-86248-468-0。35頁。

関連項目

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