鼻欠地蔵
現状
いつごろ造られたかはっきりしない。白山道沿いの白山道奥磨崖仏とあわせて横浜に2つしかない磨崖仏の1つで『江戸名所図会』にも掲載されている[2]。『図会』では輪郭や表情まではっきり描かれている[2]。地蔵のある位置は相模国と武蔵国境にあたるので「界の地蔵」ともいう[2]。鼻が欠けていたので「鼻欠地蔵」とよばれたという[2]が、現在は鼻どころか全身が風化し、膝は道路に削られ、輪郭が何とか解るレベルになっている[3][4][5]。
脚注
- 神奈川県『かながわの古道』(1980年)114ページ
- 江戸名所図会. 六.
- 金沢区『金沢の古道』(1984年)22ページ
- “鼻欠地蔵”. 一般社団法人横浜金沢観光協会. 2020年11月20日閲覧。
- “金沢区の中世遺跡-中世都市鎌倉の外港・六浦庄の考古学的景観-”. 埋文よこはま26号(2012年8月31日発行). 2020年11月21日閲覧。
参考資料
関連文献
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