龍光院 (京都市左京区)
龍光院(りょうこういん)は、京都府京都市左京区黒谷町にある、浄土宗大本山金戒光明寺の塔頭である。
| 龍光院 | |
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| 所在地 | 京都府京都市左京区黒谷町33 |
| 位置 | 北緯35度01分13.1秒 東経135度47分12.2秒 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 寺格 | 金戒光明寺塔頭 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 慶長10年(1605年) |
| 開基 | 滝川雄利(建立) |
| 法人番号 | 4130005000359 |
歴史
龍光院はかつて僧侶であった滝川雄利により建立された。雄利の息女はたいへん器量が良く、北政所にも気に入られていた。北政所は秀吉が朝鮮に遠征した際、捕虜として連れてこられた李氏朝鮮の男性を、雄利の息女の召使いにと遣わしたが、息女は17歳で死去した。雄利は息女の死を悼み、金戒光明寺に塔頭を建立した。そして息女の戒名の「龍光院」から名を取り、塔頭の名を龍光院とし、菩提を弔うことにした。息女の召使いは、息女が亡くなったのち出家し、宗厳と名のった。彼は長い修行の後、再び黒谷の地に戻ってきて、龍光院墓地の息女の墓の前で、念仏をひたすら唱えていた。宗厳はのち西雲院を建立し、念仏三昧の生活を送ることになった。その後、明治時代になり、廃仏毀釈などの影響もあり、一時住職がいないという時代もあった。現在の伽藍は隣地にあった別の塔頭を合わせたものである。本堂は建立当時のものと言われている。なお当寺院は金戒光明寺内の塔頭で、唯一寺院内の墓地を持つ。秋は紅葉が美しい。
墓所
脚注
- 中野等の著作の中に西翁院(金戒光明寺の塔頭)が田中吉政の墓所の管理をしているという記述もあるが、これは誤りであり、甲木清遺稿の田中吉政の墓は京都黒谷龍光院にあるという記述が正しい。こうした誤りの原因として、第二次大戦後に、金戒光明寺を中心とした黒谷浄土宗、知恩院を中心とす浄土宗本派が浄土宗から分立するが、昭和36年(1961年)に浄土宗本派が復帰、昭和52年(1977年)に黒谷浄土宗も復帰した。この間、金戒光明寺および西翁院と龍光院が別の宗派だったために発生したという説がある。
参考文献
外部リンク
- 半田隆夫『田中吉政公とその時代 - ウェイバックマシン(2016年4月24日アーカイブ分)』(SNK電子図書館蔵)
- 〜見たい 聞きたい 知りたい〜 とらひめ人物探訪 part4 田中吉政
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