Whataboutism

Whataboutism(ホワットアバウティズム[1]、ワットアバウティズム[2]、ワタバウティズム[3])は、論法の一種。自身の言動が批判された際に、直接疑問に答えず、“What about ...?”(「じゃあ○○はどうなんだ?」)[1]と、話題をそらすことを指す[4]。いわゆる論点ずらし[注 1]の一種である。

概要

Whataboutismは、自身の言動を批判された者が、直接疑問に答えるのを避けて話題をそらす論法のことである[4]。いわゆるお前だって論法と同様に相手の言動にも自身と同様の問題があることを指摘して批判自体の正当性を失わせようとすることを意味する場合[5]のほか、無関係な第三者の言動に話をそらす場合も含めてWhataboutismと呼ぶことがある[1]

冷戦時代にソビエト連邦が用いたプロパガンダ手法であり、西側諸国から批判された際、決まって西側諸国における出来事を挙げて “What about...?”(––こそどうなんだ?)と返答することから名づけられた[6][7]。その後、2010年代に入るとアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが一貫してこの論法を使用していると指摘されるようになり[8]、さらにSNSでの議論にも必要とされたことで “Whataboutism” という語の使用頻度が増えていった[1]

日本語では、「そっちこそどうなんだ主義」と表記されることもあるが、Whataboutismの語義と異なるとする批判もある[1]。なお、Whataboutismの論者のことは “Whataboutist” と呼ばれる[9]

具体例と対応

Whataboutismは、何かを批判された者が “What about ...?”(じゃあ○○はどうなんだ?)と相手や第三者の別の言動を持ち出して言い返すような論法である[1]。例として、以下のようなものがある。

  • ソ連が西側諸国から人権抑圧を非難されたのに対して「そっちだって過去に奴隷制度があっただろう」と切り返す[10]
  • 遅刻を批判された者が「君だって忘れ物をするじゃないか」あるいは「○○さんだってよくドタキャンするよ」というように言い返す[1]
  • 性暴力被害の話に対して「冤罪もあるだろ、それはどうなんだ!」というように返す[3]
  • ブラック・ライヴズ・マターに対して、「アジア人差別や、ときには白人差別の問題だってある」と論点をずらす[11]
  • 批判や反対論に対し「批判(反対)するならお前が代案(対案)を出せ」と返すことで望まない意見を潰し議論を成り立たなくさせる。

日本語辞典編纂者の飯間浩明は、Whataboutismという言葉が普及した理由について、議論の上で知っておくべき概念の一つとして広まったものと分析している[1]。相手や第三者の言動については後で議論することにして、本人の言動に関する話に戻るのが理にかなっており、そのようなときに「Whataboutismはやめよう」[注 2]と言うことができる[1]

歴史

発祥

現在のWhataboutismに含まれる論法の起源は古く、新約聖書の「罪の女」における「あなたがたのうちで罪のない者が最初に彼女に石を投げなさい」というイエスの発言に表われているように、「真に潔白な者だけが他人の非を咎めることができる」というルールを採用すれば誰も他者を責められなくなるということは古代から知られていた[10]

こうした論法がWhataboutismと呼ばれるようになったのは、冷戦期のソ連が多用したことに由来する。〜主義などを意味するismを付した「Whataboutism」という英語の単語は2008年にエドワード・ルーカスエコノミストではじめて使用したとされる[12][13]。また、Whatabouteryというほぼ同じ意味の用語が北アイルランド問題の時期にイギリスで使われた[14]。これに対応するロシア語単語はなかった[6]

ジ・アトランティックの報道によると、Whataboutismの早期における例の1つは1947年におきた。当時、アメリカ合衆国商務長官ウィリアム・アヴェレル・ハリマンは演説で「ソ連帝国主義」を批判したが、イリヤ・エレンブルグプラウダでアメリカの種族と社会的少数者に関する法律と政策を批判し、ソ連はそれらを「人類の尊厳を侵害している」ものとして扱うが、戦争を起こす口実としては使わないとした[5]

ソ連崩壊が迫る頃にはソ連当局がこの類の応答をすることは広く知られていて、当局のプロパガンダ的応答の代表的存在でさえあった[6]

冷戦終結後

冷戦が終結すると、この手法もあまり見られなくなったが、ソ連崩壊後のロシアでは人権侵害などの批判に対して再び使われるようになった[6]ガーディアンの記者ミリアム・エルダーウラジーミル・プーチン大統領の報道官ドミトリー・ペスコフがこの手法を多用し、多くの人権侵害の批判に対する返答はついぞ行われなかったとコメントした。例えば、エルダーがモスクワドライクリーニングをすることの困難さについて記事を書くと、ペスコフはロシア人がイギリスへ行くための査証発行の困難さをもって返答した[15]。2012年7月、RIAノーボスチのコラムニストであるコンスタンティン・フォン・エッゲルト(Konstantin von Eggert)はロシアとアメリカが中東で異なる政府を支持したとき、Whataboutismの手法を使用したことについて、記事を書いた[16]

Whataboutismの使用はどんな民族や信仰の人でも見られるが、エコノミストの報道によると、ロシア人はこの手法を多用した。同じ報道ではWhataboutismへの対抗法が2つ紹介された。1つはロシアの指導者の言葉を反論に使うことで反論を西側諸国に転用させないことであり、もう1つは西側諸国が自らのメディアと政府にもっと自己批判をすることである[6]

この用語はロシアによるクリミアの併合およびロシアによるウクライナへの軍事介入により再び注目を受けた[17][18]。またアゼルバイジャンに対しても使われたが、これは人権記録を批判されたことに対しアゼルバイジャン国会はアメリカの問題に関する公聴会を開くことで応じたためである[19]

その後、2017年アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプは、自身が批判された際にほかの誰かの問題点に話を逸らす戦術を一貫して使用し、これはロシアと共通するWhataboutismの論法であると批判されるようになった[8]。また、飯間浩明の分析によれば、SNSでの議論が盛んになったことに伴い、2010年代後半からこの語の使用頻度が増えている[1]内田樹は、インターネット上の論争の過半はWhataboutisimと同タイプのまぜっかえしであると指摘している[10]

日本語訳

日本語辞典編纂者の飯間浩明によると、Whataboutismの日本語訳としてどのような語が定着するかは2021年3月時点でまだ分からない[1]。飯間は、ウィキペディア日本語版で当時「そっちこそどうなんだ主義」という記事名が使用されていたことを取り上げ、この訳では言葉として長すぎる上に、議論の相手に限らず第三者の話を持ち出す場合も含まれるというWhataboutismの語義が正しく表現できていないことを難点として指摘している[1]。飯間はうまい日本語訳が定着すればSNSでの議論にも資するとし、Twitterで挙げられたものとして「だって論法」、「誰々ちゃん論法」、「せやかて論法」、少数ながらすでに使われているものとして「ホワットアバウト論法」という訳語を例示している[1]

「そっちこそどうなんだ主義」は、過去のウィキペディア日本語版のほかに、フォトジャーナリストの安田菜津紀[20]やコラムニストの小田嶋隆[21]らもWhataboutismの日本語訳として使用している。このほか、思想家の内田樹はWhataboutismの意味を日本語でいうと「どの口が言うか」であると説明している[10]

脚注

注釈

  1. 既存の論点の終結後に「○○はどうなんだ」と発言することはWhataboutismにあたらないため、「論点の割り込み」というのが実感に近い。
  2. 飯間浩明は、Whataboutismに相当するうまい日本語があれば、このように便利に使用することができると主張している[1]

出典

  1. 飯間浩明「日本語探偵 【ほ】『ホワットアバウト』のうまい日本語訳はある?」『文藝春秋』第99巻第4号、2021年4月1日、213頁。
  2. 内田樹,平川克美|たぶん月刊「はなし半分」2019年11月増刊号”. ラジオデイズ. 2021年5月13日閲覧。
  3. アルテイシア (2021年3月18日). 三十年来の親友にバチギレてしまった話”. 幻冬舎plus. アルテイシアの59番目の結婚生活. 幻冬舎. 2021年5月13日閲覧。
  4. レベッカ・ソルニット 著、渡辺由佳里 訳「まえがき」『それを,真の名で呼ぶならば——危機の時代と言葉の力』岩波書店、2020年1月28日、3頁。ISBN 978-4-00-023742-0。
  5. Khazan, Olga (2013年8月2日). “The Soviet-Era Strategy That Explains What Russia Is Doing With Snowden”. The Atlantic. https://www.theatlantic.com/international/archive/2013/08/the-soviet-era-strategy-that-explains-what-russia-is-doing-with-snowden/278314/ 2015年7月7日閲覧。
  6. Staff writer (2008年1月31日). “Whataboutism”. The Economist. http://www.economist.com/node/10598774 2012年5月16日閲覧。
  7. Staff writer (2008年12月11日). “The West is in danger of losing its moral authority”. European Voice. http://www.politico.eu/article/the-west-is-in-danger-of-losing-its-moral-authority/ 2012年5月16日閲覧。
  8. Kurtzleben, Danielle (2017年3月17日). “Trump Embraces One Of Russia's Favorite Propaganda Tactics — Whataboutism”. NPR. https://www.npr.org/2017/03/17/520435073/trump-embraces-one-of-russias-favorite-propaganda-tactics-whataboutism 2017年5月20日閲覧. "This particular brand of changing the subject is called 'whataboutism' – a simple rhetorical tactic heavily used by the Soviet Union and, later, Russia."
  9. 野間易通「あとがき」『実録・レイシストをしばき隊』河出書房新社、2018年2月28日、346頁。ISBN 978-4-309-24847-9。
  10. 内田樹「『まぜっかえし』で失われるもの」『常識的で何か問題でも? 反文学的時代のマインドセット』朝日新聞出版〈朝日新書 690〉、2018年10月30日、118-120頁。ISBN 978-4-02-273792-2。
  11. 鎌田和歌 (2020年6月12日). ネットのカタカナ語中級編、よく聞く「ホワットアバウティズム」って何?”. ダイヤモンド・オンライン. News&Analysis. ダイヤモンド社. 2021年6月22日閲覧。
  12. The Roots of the ‘What About?’ Ploy - WSJ
  13. diary day one | EdwardLucas.com
  14. Ian Linden (2014年3月19日). “In Defence of ‘Whataboutery’”. The Huffington Post. http://www.huffingtonpost.co.uk/ian-linden/northern-ireland-whataboutery_b_4992638.html 2016年9月28日閲覧。
  15. Elder, Miriam (2012年4月26日). “Want a response from Putin's office? Russia's dry-cleaning is just the ticket”. The Guardian. https://www.theguardian.com/world/2012/apr/26/russia-abuses-bureaucracy-putin-drycleaning 2012年5月16日閲覧。
  16. von Eggert, Konstantin (2012年7月25日). “Due West: 'Whataboutism' Is Back - and Thriving”. RIA Novosti. http://en.rian.ru/columnists/20120725/174777687.html
  17. The Long History of Russian Whataboutism”. Slate.com (2014年3月21日). 2014年11月17日閲覧。
  18. Drezner, Daniel (2014年8月20日). “Ferguson, whataboutism and American soft power”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/posteverything/wp/2014/08/20/ferguson-whataboutism-and-american-soft-power/ 2014年11月17日閲覧。
  19. Azerbaijan Concerned About Human Rights -- In The United States.”. RFERL (2015年1月16日). 2017年4月11日閲覧。
  20. 安田菜津紀 (2020年8月29日). メディアが「再生産」していくいびつな「ジェンダーバランス」”. 日経COMEMO. 日本経済新聞社. 2021年6月22日閲覧。
  21. 小田嶋隆 (2019年9月13日). 「旗」をめぐる最終的な悪夢”. 日経ビジネス電子版. 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明. 日経BP. 2021年6月22日閲覧。

関連項目

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