どこかで知った娘

どこかで知った娘」(原題: The Girl I Knew Somewhere)は、マイク・ネスミスが作詞作曲し、モンキーズ1967年に発表した楽曲。

どこかで知った娘
モンキーズシングル
A面 恋はちょっぴり
B面 どこかで知った娘
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ロサンゼルス、RCAビクタースタジオ(1967年2月23日)
ジャンル ロック
時間
レーベル コルジェムズ・レコード
作詞・作曲 マイク・ネスミス
プロデュース チップ・ダクラス(B面)
チャート最高順位
モンキーズ シングル 年表
アイム・ア・ビリーヴァー
b/w
ステッピン・ストーン
(1966年11月)
恋はちょっぴり
b/w
どこかで知った娘
(1967年3月)
プレザント・バレー・サンディ
b/w
恋の合言葉
(1967年6月)

概要

アルドン・ミュージックの創立者で、ブリル・ビルディングの多数のソングライターたちを管理していたドン・カーシュナーは、同時にモンキーズのテレビ番組『ザ・モンキーズ・ショー』や彼らのレコード制作にも関わっていた。シングルはB面も、A面と同じ割合でロイヤルティーが発生することから、カーシュナーは1枚目のシングル「恋の終列車」においても2枚目の「アイム・ア・ビリーヴァー」においても、いわばボーナスとしてB面にブリル・ビルディングの作家の作品を採用した。

「アイム・ア・ビリーヴァー」は1966年12月、ビルボード・Hot 100の1位を記録。カーシュナーはさらなるヒットを求め、作者のニール・ダイアモンドに曲の執筆を依頼する。演奏には一切参加できず、決定権も与えられていなかったモンキーズのメンバーたちはこの頃からフラストレーションを抱えていたが、カーシュナーは彼らの声に耳を貸そうとはしなかった。

反旗を翻したのはマイク・ネスミスだった。彼は1967年1月19日、自作の「どこかで知った娘(The Girl I Knew Somewhere)」を他のメンバーとともに密かにレコーディング。このときのリード・ボーカルはネスミス自身が務めた。

1967年の初め、ネスミスはウェスト・ハリウッドのクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」でタートルズのコンサートを見たあと、ベーシストのチップ・ダグラスに接触。ダグラスに向かって、モンキーズのメンバーがみな「工場制手工業」的なレコーディングの在り方に飽き飽きしていること、自由獲得のため新しいプロデューサーを探していることを打ち明けた[2][3]

ネスミス「ところで俺たちのバンドのプロデューサーになるつもりはないか?」

ダグラス「でも俺は生まれてこの方レコードをプロデュースしたことなんかないよ」

ネスミス「心配するな。たとえタートルズをやなめなきゃならない事態になっても、君がほしいものはすべて用意してやる」

ダグラスは2月の公演を最後にタートルズを脱退。後任にはジム・ポンズがおさまった。

一方、カーシュナーは次のシングルのため1967年1月21日、ニューヨークのRCAビクターのスタジオBをおさえる。ジェフ・バリーのプロデュースの下、ヒュー・マクラッケンやハービー・ロヴェルなどのセッション・ミュージシャンが集められ、ニール・ダイアモンド作の「恋はちょっぴり(A Little Bit Me, a Little Bit You)」とバリー作の「シー・ハングズ・アウト」のレコーディングが行われた。グループも歌入れのためニューヨークに飛び、リード・ボーカルはともにデイビー・ジョーンズが担当した。同年2月、A面を「恋はちょっぴり」とし、B面を「シー・ハングズ・アウト」とするシングルがピクチャースリーブ付きで発表される。カナダとアメリカ本国のラジオでかかり始めた時、ついにネスミスは本気で怒り、無許可でレコードを発表したとの理由によりカーシュナーを解雇した[4]。カナダで出回ったレコードは回収され、アメリカでは発売中止となった。

同年2月10日、海の向こうではビートルズが「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」にオーケストラをダビングするため、EMIスタジオの第1スタジオで総勢40名のメンバーの演奏をレコーディングした。ビートルズはセッションを見守るゲストとして友人たちを招き、創作意欲に燃えていたネスミスもこの日第1スタジオを訪れた[5]。レコーディングの模様はプロモーション・フィルム用に撮影され、ネスミスの姿もわずかながら確認できる[6]

同年2月23日、グループはチップ・ダグラスをプロデューサーに迎え「どこかで知った娘」を再レコーディング。リード・ボーカルはミッキー・ドレンツにかわった[7][8]。3月18日、モンキーズは「恋はちょっぴり」を3枚目のシングルとして正式に発売。「どこかで知った娘」はそのB面に収録された[1]。前者はビルボード・Hot 100の2位、キャッシュボックスの1位を記録し大ヒット。「どこかで知った娘」もA面の人気に押され、39位を記録した。

両面ともオリジナル・アルバムには収録されなかった。ネスミスがリードをとるバージョンや、その他の別テイクはコンピレーション・アルバム『The Headquarters Sessions』に収録された。

演奏者

脚注

  1. 45cat - The Monkees - A Little Bit Me, A Little Bit You / The Girl I Knew Somewhere - Colgems - USA - 66-1004
  2. Douglas, Chip (February 2010). "Part Two". The Strange Dave Show (Interview). Interviewed by David Harry Rosenberg. 2012年10月2日閲覧
  3. Douglas, Chip (February 2010). "Part Three". The Strange Dave Show (Interview). Interviewed by David Harry Rosenberg. 2012年10月2日閲覧
  4. Harold Bronson, ed (October 1996). Hey, hey, we're the Monkees. Santa Monica, Calif.: General Pub. Group. p. 67. ISBN 1575440121
  5. Marinucci, Steve (2018年5月31日). “Mike Nesmith Reflects on His Weed-Fueled, Post-Monkees Project First National Band & New Memoir”. Billboard. https://www.billboard.com/articles/columns/rock/8458680/mike-nesmith-interview 2021年7月28日閲覧。
  6. The Beatles - A Day In The Life”. The Beatles (2015年10月28日). 2021年7月28日閲覧。
  7. The Girl I Knew Somewhere”. colli.tripod.com. 2015年12月6日閲覧。
  8. Greenwald, Matthew. The Girl I Knew Somewhere - Review”. allmusic.com. 2015年12月6日閲覧。
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