アイスランド共和国 (中世)

アイスランド共和国またはアイスランド自由国アイスランド語:þjóðveldiðまたはgoðaveldið)は、アイスランド史上、930年アルシング開設から1262年古い盟約によるノルウェー王への服従までの時期を指す。Papar(キリスト教の僧)の記録によると、アイスランド島は870年頃まで無人だった。

アイスランド共和国
Þjóðveldið Ísland (アイスランド語)
アイスランド入植 930年 - 1262年 ノルウェー王国 (872年-1397年)
アイスランドの国旗 アイスランドの国章
国旗 国章
アイスランドの位置
1650年頃にアブラハム・オルテリウスが描いた地図
公用語 古ノルド語(後に古アイスランド語)
首都 シンクヴェトリル
ゴジ
1199年 - 1238年 Sturla Sighvatsson
1208年 - 1245年Kolbeinn ungi Arnórsson
1210年 - 1256年Þórður kakali Sighvatsson
1208年 - 1268年Gissur Þorvaldsson
1214年 - 1284年Sturla Þórðarson
Lawspeaker
985年 - 1001年ソルゲイル・ソルケルスン
1004年 - 1030年Skapti Þóroddsson
1215年/1222年 - 1218年/1231年スノッリ・ストゥルルソン
1248年 - 1250年/1252年Ólafur Þórðarson
1251年 - 1251年Sturla Þórðarson
面積
950年103,000km²
人口
950年50,000人
変遷
アルシング設置 930年頃
ノルウェーによる侵略1262年
現在アイスランドの旗 アイスランド
アイスランドの歴史
国章
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アイスランド ポータル

社会構造

最初の入植者は祖国ノルウェーを基にした地域の法的集会「Þing」を創った。 各地の首長は「ゴジ(複数形はgoðar)」と呼ばれ、ゴジの役所はgoðorðと呼ばれた。 Goðorðは厳格な地理的境界を持たず、自由民は複数のゴジから支援する者を選べた。 支援者は「Þingmenn(集会の人々)」と呼ばれた。 ゴジはÞingmennの利益を守り、Þingmennは紛争の際にゴジに助太刀した。 Þingmennは地域や国の集会への参加も求められた[1]

地域レベルでは13の地区のゴジ達が毎春集まり紛争を調停した。 ゴジは地域の首長として国会に当たるアルシングにも参加した。今日ではアルシングは現存する世界最古の議会制度となった。第二世代のÞorsteinn Ingólfssonがキャラルネス議会で行ったものが最古である。キャラルネス議会の指導者達はÚlfljótrにノルウェー法を学ぶ事を命じた。彼はノルウェーで3年学び、後にアイスランド国会の元になるÚlfljótr法を創った。その一部は植民の書に残っている。930年頃にシンクヴェトリル(集会平野)で初のアルシングが開催された。毎年6月の2週間の間、島中から人が集まり議会を行う。アルシングは法を司る組織のLögréttaを中心に行われた。Lögréttaは39人のゴジとその相談役からなり、3年毎に法官(lögsögumaður)を1人選出する。 法官はシングヴェトリル中心部の法律の岩の上で、法を暗唱・明確化した[2]。最初の入植者であるインゴールヴル・アルナルソンの子孫は、毎年アルシングで清めの儀式を行う。

アイスランドは4つの行政区画(fjörðungar)に分かれ、それぞれを9人のゴジが治めた。アルシングは4部議会('fjórðungsdómur)から成り、各ゴジが指名する36人の裁判員から成る。アルシングは地方議会に優越し、圧倒的多数(36人中31人以上)が賛成しなければ廃案になった。1005年に設置された控訴審に当たる第5議会は過半数の賛成で採決となり、この問題は解決された。ただしアルシングが裁きを下しても罰を与える機関は無く、被害者側が執行を代行する責任を負った。

罰には金銭的賠償や市民権の剥奪が有った。しかしこれらは不十分と考えられており、紛争を穏やかに止めるにはアルシングが唯一の手段だった[3]マグヌス・マグヌッソンによると、裁判所は「復讐の不安な代替」だった。最も重い罰は市民権の剥奪と3年の流罪だった[4]

1117年、アイスランドの法律がグレイ・グース法として明文化された。

中世アイスランドの政府の仕組みは主に明文法とÍslendingabók(アイスランド人学者アリの本)から判明している[5]。入植者に法が与えた影響は、アイスランドのサガの主要テーマである。ニャルス・サガラクスダラ・サガは詳しく書かれているが、正確性には議論が有る。エイルビッギャ・サガには、スノッリ・ゴジの指示でアイスランド人が自然崇拝からキリスト教に改宗していく様子が記されている[6]

11世紀-12世紀には、首長は領地の農民に大きく依存し、権力は縮小していた[7]

1190年頃には、地域の首長は弱体化し、中央集権化が進んでいった[8]

1220年頃には、10-12人の首長による緩い連邦国家になっていた[9][10][11]。貧農は困窮していたにもかかわらず、一度も反乱を起こさなかった[11]

入植開始から12世紀まで奴隷制が存続した。窃盗犯や負債返済不能者は法的に奴隷に落とされた。奴隷が結婚や子供を持つ事が出来た事が、その階級を存続させた。12世紀後半には奴隷は減少し、15世紀には極めて珍しくなっていた[12]

戦役

ゴジの支援者は武力を提供する義務が有った。支援者は社会的地位や装備に応じて組織され、レイダング(軍)を構成した。アイスランドの軍事の発展は、ノルウェーのそれに近い歴史をなぞった。射出武器を装備して陣形を組む軍団は記録が無く、歩兵部隊に弓兵や投石兵を混ぜて戦った。滅亡直前には少なくとも21の要塞や城が島中に有った[13]1180年-1264年ストゥルルングス時代には、平均的な戦闘に参加する兵士は1000人以下で、犠牲者は15%程だった。これは社会の血族意識から敗軍への虐殺が不名誉とされたためである[14]

衰退と滅亡

13世紀前半、内紛によって混沌と分断が広がった。元々ゴジは固定された地域の首長というよりも、契約関係で機能していた。しかし、1220年までにはこの仕組みは廃れ、代わりに戦って土地と領民を奪う仕組みになっていた。勢力均衡が崩れたために戦争の仕組みが変わり[15]、社会は不安定になっていった[15]

1220年、ノルウェー王はアイスランドの封臣を通して島に圧力をかけ始めた。1240年には影響力が強まり、アイスランド人はノルウェー王が首長を決める事を受け入れ始めた[16]。そして1240年-1260年には、王はアイスランドの権力を統合していった[16]。内乱と外圧の結果、1262年に首長達はノルウェーのホーコン4世を王と認める事を古い盟約で誓った。歴史家のSverrir Jakobssonによると、次の3人がこの征服事業に大きく貢献した。

  • Gissur Þorvaldsson:農民に対し、王に税を支払う事を同意させた。
  • Hrafn Oddsson:Gissurに王を補佐するよう圧力を加えた。また、西部の農民を王に従わせた。
  • Brandur Jónsson:僧侶で、東部の農民を王に従わせた[17]

1264年までに、全ての首長は王への忠誠を誓った[18]。こうしてアイスランド共和国は終焉を迎えた。

関連項目

脚注

  1. Short, William Rhuel. Icelanders in the Viking Age: The People of the Sagas. Jefferson, NC: McFarland &, 2010. Print.
  2. Guðmundur, Hálfdanarson. Historical Dictionary of Iceland. Lanham, MD: Scarecrow, 2008. Print.
  3. Karlsson, Gunnar. The History of Iceland. Minneapolis Minn.: Univ. of Minneapolis, 2000. Print.
  4. Sigurðsson, Jón Viðar (1999). Chieftains and Power in the Icelandic Commonwealth. pp. 168
  5. GRØNLIE, SIÂN (2006). ÍSLENDINGABÓK — KRISTNI SAGA: THE BOOK OF THE ICELANDERS — THE STORY OF THE CONVERSION. http://www.vsnrweb-publications.org.uk/Text%20Series/IslKr.pdf 2015年2月13日閲覧。.
  6. Palsson, Herman, and Paul Edwards. Eyrbyggja Saga. Harmondsworth: Penguin, 1989. Print.
  7. Jakobsson, Sverrir (2016). Auðnaróðal. Sögufélag. pp. 13
  8. Jakobsson, Sverrir (2016). Auðnaróðal. Sögufélag. pp. 145
  9. “Hvers vegna féll þjóðveldið?”. Vísindavefurinn. http://www.visindavefur.is/svar.php?id=1510 2017年1月2日閲覧。
  10. Sigurðsson, Jón Viðar (1999). Chieftains and Power in the Icelandic Commonwealth. pp. 211
  11. Júliusson, Árni Daniel. Peasant Unrest in Iceland”. www.academia.edu. 2016年2月12日閲覧。
  12. Jakobsson, Sverrir. Frá þrælahaldi til landeigendavalds: Íslenskt miðaldasamfélag, 1100-1400. https://www.academia.edu/2967280/Fr%C3%A1_%C3%BEr%C3%A6lahaldi_til_landeigendavalds_%C3%8Dslenskt_mi%C3%B0aldasamf%C3%A9lag_1100-1400.
  13. Birgir Loftsson (2006), Hernaðarsaga Íslands : 1170-1581, Pjaxi. Reykjavík; pg. 76
  14. Birgir Loftsson op.cit.
  15. Jakobsson, Sverrir (2001年). The Process of State-Formation in Medieval Iceland”. www.academia.edu. 2016年1月18日閲覧。
  16. Sigurðsson, Jón Viðar (1999). Chieftains and Power in the Icelandic Commonwealth. pp. 208–216
  17. Jakobsson, Sverrir (2016). Auðnaróðal. Sögufélag. pp. 255
  18. Karlsson, Gunnar (2000). The History of Iceland. pp. 82–83

外部リンク

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