アクトベ
アクトベ(Ақтөбе)は、カザフスタン共和国の都市。アクトベ州の州都。2015年の人口は38万7807人。
アクトベ Ақтөбе Актюбинск | |
|---|---|
![]() アクトベの街 | |
![]() アクトベ ![]() アクトベ | |
| 北緯50度17分 東経57度10分 | |
| 国 |
|
| 州 | アクトベ州 |
| 人口 (2015) | |
| • 合計 | 387,807人 |
| 等時帯 | UTC+5 (UTC+5) |
ラテン文字表記はAqtöbe(またはAktöbe、Actöbe)。ロシア語ではアクチュビンスク(Актюбинск)と呼ばれる。
住民の民族構成は多彩で、カザフ人とロシア人を始めとして、ウクライナ人・タタール人・ウイグル人・チェチェン人・アルメニア人・ユダヤ人・ギリシア人などが住んでいる。ペレストロイカ以前はドイツ人の大きなコミュニティがあった。
歴史
アクトベという名はカザフ語で「白い丘」を意味し、19世紀の入植地であった丘に由来する。1869年3月、ロシアはオレンブルクからのキャラバンルートに当たるこの地に軍事要塞を建設し、周囲にスラブ人が農業のために入植を開始した。要塞は拡張され、町も大きく整備された。1891年、アクチュビンスクという名の市に昇格した。1901年にはトランス・アラル鉄道も開通した。
ロシア第一革命ではボリシェビキが活発な反政府活動を展開し、ロシア革命で完全にアクチュビンスクを掌握した。その後、戦略的に重要なアクチュビンスクをめぐって赤軍と白軍が激しい争奪戦を展開し、1919年4月、アクチュビンスクは白軍の手に落ち、ボリシェビキの中央アジアへの連絡路は断たれた。しかし、9月になるとミハイル・フルンゼのボリシェビキ軍は激戦を経てアクチュビンスクを奪還し、それ以降にタシュケントへの鉄路は赤軍の掌握するところとなった。1920年、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生した後、カザフ・ソビエト社会主義共和国のアクトベ州となる。
第二次世界大戦では、工場がロシアやウクライナから疎開し、フェロアロイ工場やクロム工場も移転してきたため、工業都市として飛躍することになった。1990年代以降、アクトベのヴォルガ・ドイツ人たちはドイツへ帰還した。
政治
著名な出身者
- ワレリー・リューキン - 旧ソ連の体操選手。
- サビーナ・アルシンベコバ - バレーボール選手[4]。
脚注
- カザフスタン:アクトベ州アクトベ市における銃撃戦の発生に伴う注意喚起外務省 2016年6月6日
- カザフスタン:アクトベ州アクトベ市における銃撃戦の発生に伴う注意喚起(更新)外務省 2016年6月15日
- カザフスタン、来年1月15日まで延長Qnewニュース 2016年8月16日
- “Kazakhstan Volleyball Player Sabina Altynbekova Biography”. Youth Developers. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月6日閲覧。


