AFCアジアカップ2000
AFCアジアカップ2000は、2000年10月12日から同年10月29日にかけて、レバノンで開催された第12回のAFCアジアカップである。
| AFCアジアカップ2000 | |
|---|---|
| 大会概要 | |
| 開催国 |
|
| 日程 | 2000年10月12日 - 10月29日 |
| チーム数 | 12 (AFC連盟) |
| 開催地数 | 3 (3都市) |
| 大会結果 | |
| 優勝 |
|
| 準優勝 |
|
| 3位 |
|
| 4位 |
|
| 大会統計 | |
| 試合数 | 26試合 |
| ゴール数 |
77点 (1試合平均 2.96点) |
| 得点王 |
|
| 最優秀選手 |
|
| < 19962004 > | |
概要
開催国のレバノンおよび前回UAE大会で優勝したサウジアラビアに、予選を勝ち抜いた10チームを加えた合計12チームで争われた。当時AFCに所属していた中でこの大会 (予選を含む)に参加しなかった国はアフガニスタンのみで、アジアカップ史上最多の44の国・地域が参加した。
開催地はレバノンの首都ベイルートおよびトリポリ、サイダの3ヶ所であった。特に東アジア諸国から見るとレバノンは内戦の地というイメージが強かったが、競技場はよく整備され、大会期間中に大きな治安上の問題もなかった。
総括
日本が地元開催の1992年大会以来2度目の優勝を果たし、“中東の笛”などアウェイ色の濃い中東開催のアジアカップで、東アジア勢として初めて制することとなった。
日本は、本大会直前まで開催されベスト8という成績を残したシドニーオリンピックに出場したメンバーと、1998 FIFAワールドカップに出場したメンバーを融合させたチームでこの大会に臨んだ。グループリーグを2勝1分の1位で突破すると、準々決勝でイラクに、準決勝で中国にいずれも逆転勝ちを収めて2大会ぶりに決勝進出を果たし、決勝で前回王者サウジアラビアを1-0で下した。前年よりも選手層の厚くなったASローマ (イタリア)でのレギュラー争いを優先したいという中田英寿を招集辞退で欠いていたものの、グループリーグおよび決勝トーナメントの全6試合で21得点をマークする[1]など、他を圧倒する内容で勝ち進んだ日本は、アジアサッカー連盟 (AFC)の事務所に飾られている本大会優勝のレリーフに「史上最強のチャンピオン」と記されるなど、大会史上に残る屈指の好チームと呼べた。この頃のA代表が日本代表史上最強のチームだったのではないかという声も大きく[2]、準々決勝 (イラク戦)で見せた中村俊輔が真横に蹴ったFKを、名波浩がダイレクトボレーで合わせて決めたゴールは大きな印象を残した。
本大会参加国
グループリーグ
- 参加12チームを3グループに分け、1回戦総当たり方式で行われた。グループ上位2チームと、各グループの3位のうち勝ち点上位2チームの、計8チームが決勝トーナメントに進んだ。
- 全試合試合開始時刻は現地時間 (GMT+2)である。
決勝トーナメント
| 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | ||||||||
| 10月23日 – サイダ | ||||||||||
| 3 | ||||||||||
| 10月26日 – ベイルート | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
| 2 | ||||||||||
| 10月24日 – ベイルート | ||||||||||
| 3 | ||||||||||
| 4 | ||||||||||
| 10月29日 – ベイルート | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
| 10月23日 – トリポリ | ||||||||||
| 0 | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
| 10月26日 – ベイルート | ||||||||||
| 2(GG) | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
| 10月24日 – ベイルート | ||||||||||
| 2 | 3位決定戦 | |||||||||
| 2 | ||||||||||
| 10月29日 – ベイルート | ||||||||||
| 3(GG) | ||||||||||
| 0 | ||||||||||
| 1 | ||||||||||
準決勝
最終結果
| AFCアジアカップ2000優勝国 |
|---|
日本 2大会ぶり2度目 |
個人表彰
| MVP | 得点王 | 最優秀DF | フェアプレー賞 |
|---|---|---|---|
ベスト11
| GK | DF | MF | FW |
|---|---|---|---|
|
|
|