アデライード・ド・ノルマンディー (1030-1090)

アデライード・ド・ノルマンディー(フランス語:Adélaïde de Normandie, 1030年ごろ - 1090年以前)は、オマール女伯(在位:1069年 - 1090年)。イングランド王ウィリアム1世の妹。

アデライード・ド・ノルマンディー
Adélaïde de Normandie
オマール女伯
在位 1069年 - 1090年

出生 1030年ごろ
死去 1090年以前
配偶者 ポンチュー伯アンゲラン2世
  ランス伯ランベール2世
  シャンパーニュ伯ウード2世
家名 ノルマンディー家
父親 ノルマンディー公ロベール1世
母親 アルレット・ド・ファレーズ

生涯

アデライードはノルマンディー公ロベール1世の庶子として1030年ごろに生まれた[1]。兄ギヨームもまた庶子であった[lower-alpha 1]。

アデライードのポンチュー伯アンゲラン2世との最初の結婚は、兄ギヨームに上ノルマンディーにおける強力な同盟者をもたらした[2]。しかし1049年にランス評議会において、ギヨームとマティルダ・オブ・フランダースとの結婚が近親婚として禁止された時、ブローニュ伯ウスタシュ2世および義弟のポンチュー伯アンゲラン2世も同様に反対した[3]。アデライードは1049/50年ごろに結婚を解消され、ランス伯ランベール2世との結婚が決められた。ランベール2世はブローニュ伯ウスタシュ1世の息子で、この結婚は新たにノルマンディーとブローニュの間で同盟を結ぶためであった[4]。ランベール2世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世と対立するボードゥアン5世を支援し、1054年にリールで暗殺された[5]。

未亡人となったアデライードはオマールに住んだ。オマールは恐らく最初の夫アンゲラン2世から与えられた寡婦財産か、義弟ポンチュー伯ギー1世の捕縛後の調停で手に入れた地の一部であったとみられる[lower-alpha 2][4]。未亡人として宗教生活に入り半ば引退し、オシーの教会と関わり多くの寄付を行った[4]。1060年、アデライードは再び政略結婚のため呼ばれた。今度の相手は年下のシャンパーニュ伯ウード2世であった[6]。ウードの名がウィリアム1世の1つの特許状にしか見られず、イングランド領地を手に入れることができなかったため、やや失望したようであった。アデアライードは自身の権利により直属封臣であった[6]。

1082年、ウィリアム1世とその妃マティルダはカーンのサント・トリニテ修道院に対し、コタンタン半島のル・オムの町をオマール女伯アデライードの生涯における賃借権の取り決めとともにあたえた[7]。1086年、アデライードはオマール女伯(Comitissa de Albatnarla)として[7]『ドゥームズデイ・ブック』に、サフォークおよびエセックスに広大な領地を持つとして掲載されており[8]、アデライードはイングランドに土地を持つ直属封臣として『ドゥームズデイ・ブック』に掲載された数少ないノルマンディー人の貴族女性の一人であった[9]。また、アデライードにはホルダーネスも与えられており、それはアデライードの死後に3度目の夫ウード2世が保持したが、その後はシャンパーニュ伯には継承されず、息子オマール伯エティエンヌが継承した[7]。アデライードは1090年以前に死去した[10]。

家族

最初にポンチュー伯アンゲラン2世(1053年没)と結婚し[11]、1女をもうけた。

  • アデライード(1096年以降没)[7]

2度目にランス伯ランベール2世(1054年没)と結婚し[10]、1女をもうけた。

1060年にシャンパーニュ伯ウード2世と3度目の結婚をし[13]、1男をもうけた。

注釈

  1. アデライードの母については疑問が残る。Elisabeth Van Houts ['Les femmes dans l'histoire du duché de Normandie', Tabularia « Études », n° 2, 2002, (10 July 2002), p. 23, n. 22] は、ロベール・ド・トリニーがGesta Normannorum Ducum II, p. 272(この巻でアデライードをウィリアムの姉妹としている3箇所のうち1箇所)の中でアデライードをウィリアムの同腹の姉妹(soror uterina)と呼んでいるが、ノルマンディー公リシャール2世およびその異母弟ギヨーム1世を同母兄弟としているのと同様の間違いであると考えている。これに基づいて、アデライードは異なる愛妾から生まれたロベールの娘であると結論づけた。Kathleen Thompson ["Being the Ducal Sister: The Role of Adelaide of Aumale", Normandy and Its Neighbors, Brepols, (2011) p. 63] は、Elisabeth Van Houtsと同じくGesta Normannorum Ducum II, 270-2を引用しているが、異なる見解を述べている。それによると、ロベール・ド・トリニーはここでアデライードがウィリアムと同母の姉妹であることを述べており、アデライードがウィリアムと父も母も同じであると結論づけられるであろう、としている。しかしトリニーはアデライードの誕生から1世紀後にこれを書いており、Gesta Normannorum Ducumの同じ文中に系図学上の誤りがあるため、アデライードの母については疑問が残る。
  2. オマールは小さな伯領となる前、ノルマンディー北東部のブレル川沿いの町であった。この町はオマールの相続人であったアンゲランの母を通してポンチュー伯家にもたらされた。オマールはウィリアム1世から妹アデライードに与えられたが、その時期は不明である。アデライードは息子が伯位を継承した最初の女伯であった。Cokayne, The Complete Peerage, Vol. I, p. 350. を参照。

脚注

  1. Moriarty 1985, p. 13.
  2. Thompson 2011, pp. 69–70.
  3. Thompson 2011, p. 68.
  4. Thompson 2011, p. 71.
  5. Andressohn 1972, p. 20.
  6. Thompson 2011, p. 72.
  7. Cokayne 1910, p. 351.
  8. Williams 1995, p. 58, n. 57.
  9. Thompson 2011, p. 76.
  10. Cokayne 1910, p. 353.
  11. Cokayne 1910, pp. 350–2.
  12. Higham 1993, p. 226.
  13. Schwennicke 1984, Tafel 46.

参考文献

  • George Andrews Moriarty, The Plantagenet Ancestry of King Edward III and Queen Philippa (Mormon Pioneer Genealogy Society, Salt Lake City, UT, 1985)
  • Kathleen Thompson, 'Being the Ducal Sister: The Role of Adelaide of Aumale', Normandy and its Neighbours 900–1250; Essays for David Bates, ed. David Crouch, Kathleen Thompson (Brepols Publishers, Belgium, 2011)
  • John Carl Andressohn, The ancestry and life of Godfrey of Bouillon (Ayer Publishing, 1972)
  • George Edward Cokayne, The Complete Peerage of England Scotland Ireland Great Britain and the United Kingdom, Extant Extinct or Dormant, ed. Vicary Gibbs, Vol. I (The St. Catherine Press, Ltd., London, 1910)
  • Ann Williams, The English and the Norman Conquest (The Boydell Press, Woodbridge, UK, 1995)
  • N. J. Higham, The Kingdom of Northumbria, AD 350 – 1100 (Alan Sutton Publishing, Ltd. , 1993)
  • Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Verlag von J. A. Stargardt, Marburg, Germany, 1984)
先代
アンゲラン2世
オマール女伯
1069年 - 1090年
次代
エティエンヌ
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