アレハンドロ・サベーラ

アレハンドロ・サベーラ(Alejandro Sabella, 1954年11月5日 - 2020年12月8日)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代はアルゼンチン代表であった。現役時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダー。2011年7月から2014年のブラジルワールドカップまでアルゼンチン代表監督を務めた。

アレハンドロ・サベーラ
2012年のサベーラ
名前
愛称 El Mago (手品師)[1],
Pachorra (ナマケモノ)[2]
ラテン文字 Alejandro SABELLA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1954-11-05) 1954年11月5日
出身地 ブエノスアイレス
没年月日 (2020-12-08) 2020年12月8日(66歳没)
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1974-1978 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 117 (11)
1978-1980 イングランドの旗 シェフィールド・U 76 (8)
1980-1981 イングランドの旗 リーズ・U 23 (2)
1982-1985 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 149 (10)
1986-1987 ブラジルの旗 グレミオ 10 (0)
1987-1988 アルゼンチンの旗 フェロカリル・オエステ 27 (2)
1988-1989 メキシコの旗 イラプアト 31 (0)
通算 433 (33)
代表歴
1983 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 8 (0)
監督歴
1994-1998 アルゼンチンの旗 アルゼンチン代表(コーチ)
1999-2001 ウルグアイの旗 ウルグアイ代表(コーチ)
2001 イタリアの旗 パルマAC(コーチ)
2002-2004 メキシコの旗 モンテレイ(コーチ)
2005 ブラジルの旗 コリンチャンス(コーチ)
2006-2007 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート(コーチ)
2009-2011 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス
2011-2014 アルゼンチンの旗 アルゼンチン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

選手経歴

初期の経歴

CAリーベル・プレートの下部組織で育った。サベーラのプレースタイルは同じ攻撃的ミッドフィールダーで1歳年上のノルベルト・アロンソの影響を受け、個人技やショートパスを重視するものであった。ゆったりとしたプレーからPachorra(ナマケモノ)という愛称で呼ばれた[2]。1975年、クラブとして18年ぶりのリーグタイトルを獲得し、サベーラの人気は絶対的なものとなった。1976年にはアロンソがオリンピック・マルセイユに移籍したため、サベーラは一躍ブレイクを果たした。 1977メトロポリターノでは重要な役割をはたしてリーグ優勝したが、怪我からの復帰後は再び控え選手に戻った。

イングランドへの移籍

イングランド・フットボールリーグ・セカンド・ディビジョン(2部)のシェフィールド・ユナイテッドFCはAAアルヘンティノス・ジュニアーズからディエゴ・マラドーナの獲得を試み、移籍金40万ポンドのオファーを出したが、このオファーはアルヘンティノスに受け入れられなかった。シェフィールド・Uはサベーラに狙いを切り替え、1978年7月19日に移籍金16万ポンドで契約を結んだ。8月19日のレイトン・オリエントFC戦でデビューし、1980年までの間にリーグ戦76試合に出場して8得点を挙げた。シェフィールド・Uは1979-80シーズン終了後にフットボールリーグ・ディヴィジョン3(3部)降格が決まったため、シェフィールド・Uのハリー・ハスラム監督はセカンド・ディビジョンのサンダランドAFCとの間で移籍金60万ポンドの移籍交渉をまとめたが、サベーラはフットボール・ファースト・ディビジョン(1部)でプレーする願望を持っていたため、サンダランドAFCへの移籍を拒否した。1980年5月8日、サウス・ヨークシャーカップのシェフィールド・ウェンズデイFC戦(スティール・シティ・ダービー)がシェフィールド・Uでの最終戦となり、この試合ではゴールも決めた。

1979-80シーズン終了後、移籍金40万ポンドでファースト・ディビジョンのリーズ・ユナイテッドAFCに移籍し、1981年までプレーしたが、リーズUでの挑戦は成功とはいえなかった。

アルゼンチン復帰

1981年12月にアルゼンチン復帰を模索し、カルロス・ビラルド監督率いるエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに移籍すると、チームのスター選手のひとりとして[3]、1982年のナシオナル・トーナメントでは準決勝到達に貢献した。サベーラ、マルセロ・トロッビアーニ、ホセ・ダニエル・ポンセ 、ミゲル・アンヘル・ルッソらは強固な中盤を構成し、2シーズン連続でリーグ優勝を果たした。1983年にはビラルド監督がアルゼンチン代表監督に栄転し、サベーラはアルゼンチン代表に初招集されてベテランのノルベルト・アロンソやリカルド・ボチーニ、若手のカルロス・ダニエル・タピアやホルヘ・ブルチャガやディエゴ・マラドーナらとポジションを争った。代表では通算4試合に出場し、コパ・アメリカ1983のメンバーにも選出された。1983年のコパ・リベルタドーレスでは準決勝に進出したが、僅差でグレミオに及ばなかった[3]。

選手経歴の晩年

1986年にブラジルのグレミオに移籍し、1987年までプレーした。その後エストゥディアンテスに復帰し、フェロカリル・オエステ、メキシコのイラプアトFCを経て、1989年に現役引退した。

指導者経歴

コーチとして

現役引退後は指導者の道に進んだ。1994年にはダニエル・パサレラ監督率いるアルゼンチン代表のアシスタントコーチに就任し、1998 FIFAワールドカップにも参加した[4]。その後も、1999年にはウルグアイ代表、2001年にはパルマAC、2002年にはCFモンテレイ、2005年にはコリンチャンスと、常にパサレラ監督のアシスタントコーチとして各国で指導者経験を積んだ。2006年には古巣CAリーベル・プレートに戻り、2006アペルトゥーラでは3位となった。

エストゥディアンテス

2009年、エストゥディアンテス監督時代のサベーラ

2009年3月15日、レオナルド・アストラーダ監督の後を引き継いでエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督に就任し、アシスタントコーチにはサベーラと同じくエストゥディアンテスでのプレー経験があるフリアン・カミーノやクラウディオ・グナリを起用した[3][5]。アストラーダ政権下のコパ・リベルタドーレスでは1勝2敗と苦しんでいたが、すぐにチームを立て直してグループリーグ2位で決勝トーナメントに進出し、パラグアイのクラブ・リベルタ、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオ、ウルグアイのデフェンソール・スポルティングを倒して決勝に進出した[5]。GKマリアーノ・アンドゥハルやMFフアン・セバスティアン・ベロンを軸にして堅守のチームを作り上げ、決勝ではクルゼイロECに勝利してエストゥディアンテスを39シーズンぶりの優勝に導いた。2009年12月にはFIFAクラブワールドカップに出場し、決勝のFCバルセロナ戦では高い位置からプレスをかける攻撃的な戦術で前半は優勢に試合を進めたが、89分に同点に追いつかれ、延長戦の末にヨーロッパ王者に屈した[6][7]。2010年6月から7月にはFWマウロ・ボセーリやDFマルコス・アンヘレリ等の主力を失ったが、若手のマルコス・ロホやフェデリコ・フェルナンデスを抜擢して穴を埋め、2010アペルトゥーラで優勝を果たした[8]。2011年2月2日、エストゥディアンテス監督の辞任を決意し、選手やクラブ首脳陣から引き留められたために再考したが[9]、2月3日に正式に辞任を発表した[10]。

彼が言うのは必要なことだけだ。チームに平穏をもたらし、そのおかげで選手たちは自由にプレーだけに集中できる[3]。 — サベーラを評して, フアン・セバスティアン・ベロン

アルゼンチン代表

アラブ首長国連邦のアル・ジャジーラ監督就任が基本合意に達していたが[11] [12][13]、2011年7月28日、成績不振により辞任したセルヒオ・バティスタ監督の後継としてアルゼンチン代表監督に就任した[13]。契約期間は2年間であり、2014 FIFAワールドカップ・南米予選を突破した場合は2014 FIFAワールドカップ本大会も指揮を執る[12]。初陣となるブラジルとの親善試合には、約3年ぶりの代表復帰となるフアン・ロマン・リケルメらを招集した[14]。南米予選では2戦目のベネズエラ戦を除いて無敗を維持し、首位通過を決めた。本大会では6大会ぶりの決勝進出を果たすも、ドイツ代表に破れ準優勝に終わり、大会後に監督を退任した。

タイトル

選手時代

CAリーベル・プレート
エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
  • プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン) (2) : 1982M, 1983N

指導者時代

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ

脚注

  1. “アルゼンチン新監督に魔術師サベジャ氏”. ニッカンスポーツ (2011年7月31日). 2011年8月23日閲覧。
  2. Sabella joins Pincha pantheon FIFA.com
  3. “ベロンが語るクラブ愛、そしてアルゼンチン代表”. スポーツナビ (2009年7月22日). 2011年8月23日閲覧。
  4. “サベジャ氏がアルゼンチン代表監督に就任”. ロイター (2011年8月2日). 2011年8月23日閲覧。
  5. “エストゥディアンテス、神話の復活”. スポーツナビ (2009年7月21日). 2011年8月23日閲覧。
  6. “FCバルセロナをどうやって止めるのか”. J Sports (2009年12月21日). 2011年8月23日閲覧。
  7. “バルセロナの忘れられない1年”. スポーツナビ (2009年12月21日). 2011年8月23日閲覧。
  8. “エストゥディアンテス、新たなる黄金時代の始まり”. スポーツナビ (2010年12月24日). 2011年8月23日閲覧。
  9. Sabella: "Me voy a tomar hasta mañana para decidir si sigo" Eldia.com、2011年2月2日
  10. Sabella dijo adiós y quedan muchos interrogantes abiertos Eldia.com、2011年2月4日
  11. Sabella expected to take Argentina job ESPNsoccernet、2011年7月27日
  12. “アルゼンチン代表新監督が決定”. Goal.com (2011年8月3日). 2011年8月23日閲覧。
  13. “アルゼンチン代表新監督にサベジャ氏”. AFP BB News (2011年7月29日). 2011年8月23日閲覧。
  14. “アルゼンチン代表のサベージャ監督「メッシには日々感謝しなければならない」”. WOWOWリーガニュース (2011年8月19日). 2011年8月23日閲覧。

外部リンク

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