ウーゴ・ヴィアナ

ウーゴ・ミゲル・フェレイラ・ヴィアナ(Hugo Miguel Ferreira Viana, 1983年1月15日 - )は、ポルトガルバルセロス出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表である。ポジションは攻撃的ミッドフィールダーセントラル・ミッドフィールダー[1]

ウーゴ・ヴィアナ
名前
本名 ウーゴ・ミゲル・フェレイラ・ヴィアナ
Hugo Miguel Ferreira Viana
ラテン文字 HUGO VIANA
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1983-01-15) 1983年1月15日(41歳)
出身地 バルセロス
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション AM[1]
CM[1]
利き足 左足
ユース
1993-1998 ポルトガルの旗 ジル・ヴィセンテ
1998-2001 ポルトガルの旗 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 ポルトガルの旗 スポルティングCP 26 (1)
2002-2005 イングランドの旗 ニューカッスル 39 (2)
2004-2005 ポルトガルの旗 スポルティングCP (loan) 32 (6)
2005-2010 スペインの旗 バレンシア 44 (2)
2007-2008 スペインの旗 オサスナ (loan) 9 (1)
2009-2010 ポルトガルの旗 ブラガ (loan) 28 (4)
2010-2013 ポルトガルの旗 ブラガ 79 (12)
2013-2015 アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ 24 (3)
2015-2016 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル 37 (2)
代表歴
2001-2004 ポルトガルの旗 ポルトガル U-21 22 (3)
2001-2012 ポルトガルの旗 ポルトガル 29 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

スポルティングCP

ポルトガル北部のブラガ県バルセロスに生まれたが、首都リスボンのスポルティングCPからデビューした。2001-02シーズンは活躍し、ヨーロッパ最優秀若手選手賞を受賞した。

ニューカッスル・U

2002年夏、19歳のヴィアナはイングランド・プレミアリーグニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍した。移籍金は1200万ユーロ[2]。2シーズンの間にUEFAチャンピオンズリーグFKジェリェズニチャル・サラエヴォ[3]フェイエノールト[4]、プレミアリーグのバーミンガム・シティFC[5]ウェストブロムウィッチ・アルビオンFC[6] の4試合で得点したが、レギュラーに定着することはできず、2004-05シーズンは古巣スポルティングCPにレンタル移籍した[7]。スポルティングで本来の調子を取り戻し、同シーズンのUEFAカップでは決勝に進出した。2005年夏、スペイン・リーガ・エスパニョーラバレンシアCFにレンタル移籍した。

バレンシアCF

2006年3月には移籍金150万ポンドでバレンシアCFに完全移籍したと報道された[8]。2006-07シーズンはキケ・サンチェス・フローレス監督がダビド・アルベルダルベン・バラハのコンビを好んだため、ヴィアナはトップチームでの居場所を見つけるのに苦労した。それでもリーグ戦19試合に出場して才能の片鱗を見せ、ポルトガル代表での地位を保った。2007年8月にはCAオサスナにレンタル移籍したが、不幸にもプレシーズン中に深刻な怪我を負って4ヶ月間離脱した。復帰してからも、すでにレギュラーが確立されていたチームで活躍することはできなかったが、12月23日のRCDマジョルカ戦 (3-1) では移籍後初得点を決めた。36節から最終節までの3試合にはすべて出場し、17位でセグンダ・ディビシオン(2部)降格を回避したが、2007-08シーズンの先発出場は1試合に終わった。2008年夏にはバレンシアCFに復帰したが[9]、2008-09シーズンはウナイ・エメリ新監督の構想から完全に外れ、UEFAカップ4試合とコパ・デル・レイ数試合に出場しただけであった。

2009年7月31日、SCブラガにレンタル移籍し、3シーズンぶりにポルトガルのクラブに復帰した[10]。リーグ戦序盤は首位に立ち、8月30日のCFベレネンセス戦 (3-1) では2得点を記録した。10月31日、首位を争っていたSLベンフィカとの試合 (2-0) では直接フリーキックを決め、マン・オブ・ザ・マッチの称号を得た[11]。2010年1月にルイス・アギアルが加入してからは出場機会が減少したが、28試合に出場して4得点5アシストを記録し、クラブ史上最高位の2位に貢献した。

SCブラガ

ブラガでのヴィアナ(2012年)

2010年夏にSCブラガに完全移籍すると、2010-11シーズンもドミンゴス・パシエンシア監督の下でレギュラーの座を獲得し、2011年3月6日のSLベンフィカ戦 (2-1) では再び直接フリーキックで同点弾を決めた。UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメントの9試合すべてに先発出場し、決勝で同じポルトガルのFCポルトに敗れたものの、準優勝と奮闘した。

アル・アハリ

2013年5月、恩師キケ・フローレスが監督を務めるUAEリーグアル・アハリへの移籍が合意[12]

アル・ワスル

2015年1月19日、アル・ワスルFCに移籍した。退団後、2016年10月13日に現役引退を発表した[13]

代表

2001年11月14日、アンゴラとの親善試合 (5-1) でポルトガル代表デビューした。2002年に日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップの際には、出場停止のダニエル・ケネディに代わって大会直前にメンバー入りしたが、本大会での出場機会はなかった。2004年にはU-23ポルトガル代表としてアテネオリンピックに出場した。UEFA EURO 2004後にポルトガルA代表に復帰し、背番号10を付けて臨んだ2006 FIFAワールドカップでは2試合に途中出場した。2007年6月以降は約5年間代表から遠ざかっていたが、2012年5月23日、負傷離脱したカルロス・マルティンスの代役としてUEFA EURO 2012に出場するポルトガル代表メンバーに加わった[14]

タイトル

クラブ

スポルティングCP
SCブラガ
アル・アハリ

個人

  • Medal of Merit, Order of the Immaculate Conception of Vila Viçosa (House of Braganza)[15]

個人成績

代表での得点

#日時場所相手スコア結果大会
12005年10月12日ポルトガルの旗 ポルト ラトビア3-03-02006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選

脚注

  1. Hugo Viana Transfermarkt
  2. Newcastle close on Viana UEFA.com、2002年6月20日
  3. Magpies join Europe's elite”. BBC Sport (2002年8月28日). 2009年11月23日閲覧。
  4. Newcastle go through”. BBC Sport (2002年11月13日). 2009年11月23日閲覧。
  5. Newcastle reach Champions League”. BBC Sport (2003年3月3日). 2009年11月23日閲覧。
  6. Baggies go out on a high”. BBC Sport (2003年3月11日). 2009年11月23日閲覧。
  7. Hugo Viana heads home UEFA.com、2004年7月21日
  8. It's off Hugo as Viana joins Valencia
  9. “Hugo Viana returned to Camp de Mestalla (Spanish). バレンシアCF公式サイト. (2008年4月27日). http://www.valenciacf.es/noticias/prelimin.asp?idnoticia=15508&idioma=1&IdBanner=Aleatorio 2008年7月16日閲覧。
  10. Hugo Viana é reforço por uma temporada SCブラガ公式サイト、2009年7月31日 (ポルトガル語)
  11. Brilliant Braga see off Benfica PortuGOAL、2009年10月31日
  12. ウーゴ・ヴィアーナ、UAEへの移籍に合意 ほか Qoly.jp、2013年5月25日
  13. “Hugo Viana termina carreira [Hugo Viana finishes career] (Portuguese). Rádio e Televisão de Portugal. (2016年10月13日). http://www.rtp.pt/noticias/1a-liga/hugo-viana-termina-carreira_d953928 2017年11月8日閲覧。
  14. ビアナ、ポルトガル代表に約5年ぶりの復帰 UEFA.com、2012年5月23日
  15. “Selecção distinguida pelo Duque de Bragança” (Portuguese). Cristiano Ronaldo News. (2006年8月30日). http://cristianosantosronaldo.blogspot.com/2006_08_01_archive.html 2006年8月30日閲覧。

外部リンク

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