ルベン・バラハ

ルベン・バラハ・ベガス(Rubén Baraja Vegas, 1975年7月11日 - )は、スペインカスティーリャ・レオン州バリャドリッド出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはMF。優れたタックルの技術、精度の高いパス、得点能力などを兼ね備えたセントラル・ミッドフィールダーであった[1]

ルベン・バラハ
2016年のバラハ
名前
本名 ルベン・バラハ・ベガス
Rubén Baraja Vegas
愛称 エル・ピポ
ラテン文字 Rubén BARAJA
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1975-07-11) 1975年7月11日(48歳)
出身地 スペインの旗 スペインバリャドリッド
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
ユース
スペインの旗 バリャドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1995 スペインの旗 バリャドリード B 46 (11)
1993-1996 スペインの旗 バリャドリード 41 (2)
1996-1999 スペインの旗 アトレティコ・マドリード B 79 (20)
1999-2000 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 34 (4)
2000-2010 スペインの旗 バレンシア 262 (41)
通算 462 (78)
代表歴
1993  スペイン U-18 3 (1)
2000-2005 スペインの旗 スペイン 43 (7)
監督歴
2013 スペインの旗 バレンシア B (暫定)
2015-2016 スペインの旗 エルチェ
2016-2017 スペインの旗 ラーヨ・バジェカーノ
2017-2018 スペインの旗 スポルティング・ヒホン
2019 スペインの旗 テネリフェ
2020 スペインの旗 レアル・サラゴサ
2023- スペインの旗 バレンシア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

実弟のDFハビエル・バラハもルベン同様にレアル・バリャドリードの下部組織出身で、選手生活のほとんどをレアル・バリャドリードで過ごしている。

経歴

クラブ

カスティーリャ・レオン州バリャドリッドに生まれ、地元のレアル・バリャドリードの下部組織に入団して1993年にトップチームデビューした。1996年にアトレティコ・マドリードに移籍し、2シーズン半をアトレティコ・マドリードBで過ごした後、1999年2月7日のUDサラマンカ戦でトップチームで初出場した。1998-99シーズンもBチームでプレーすることが多かったが、セグンダ・ディビシオン(2部)に属していたアトレティコ・マドリードBで11得点を挙げた。

1999-2000シーズン終了後にアトレティコ・マドリードのトップチームがセグンダ・ディビシオンに降格したため、2000年夏に移籍金2000万ペセタで前年度UEFAチャンピオンズリーグファイナリストのバレンシアCFに移籍した[2]。バレンシアCFはMFジェラール・ロペスとMFフランシスコ・ファリノスを放出して新たな中盤の選手を探しており、エクトル・クーペル監督などに重用されて数々のタイトル獲得に貢献した。

2000-01シーズンはキープレーヤーのひとりとしてUEFAチャンピオンズリーグの上位進出に貢献し、決勝でバイエルン・ミュンヘンにPK戦の末に敗れたものの、準優勝を果たした。2001-02シーズンは怪我の影響で出遅れたものの、17試合だけの出場で7得点(チーム内得点王)し、31年ぶりのリーグ優勝に貢献した。2003-04シーズンも8得点を挙げてチームをリーグ優勝に導くとともに、UEFAカップでは決勝でオリンピック・マルセイユを2-0で破って2冠を達成した。2006-07シーズンと2007-08シーズンはフィジカル面の問題に苦しみ、出場試合数が減少した。2009-10シーズンは18試合に出場したが、フル出場したのは2試合だけに終わった。2010年5月16日、CDテネリフェ戦がバレンシアCFのユニフォームを着て臨んだ最後の試合となり、89分に途中交代した際にはエスタディオ・デ・メスタージャの観客からスタンディング・オベーションが贈られた。15シーズンでリーグ戦338試合に出場して47得点を挙げた。2010年夏にバレンシアCFとの契約が満了し[3]、その後すぐに現役引退が発表された。

代表

2000年10月7日、2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選イスラエル戦 (2-0) でスペイン代表デビューした。2001年4月に行われた日本との国際親善試合では、終了間際に決勝点を記録している。2002 FIFAワールドカップ本大会にも招集され、準々決勝まで駒を進めたが、PK戦の末に韓国に敗れた。2004年に出場したUEFA EURO 2004ではポルトガルギリシャと同組となったグループリーグで敗退した。2006年の2006 FIFAワールドカップ出場メンバーからは漏れた[4][5][6][7]

指導者

2011年6月、グレゴリオ・マンサーノアトレティコ・マドリード監督就任に伴い、アトレティコのアシスタントコーチに就任した[8]

2015年7月12日、2部への降格処分となったエルチェCFの監督に就任することが発表された[9]

2016年11月8日ラーヨ・バジェカーノの監督に就任した。

2017年12月12日スポルティング・デ・ヒホンの監督に就任した。

2019年12月、CDテネリフェの監督に就任した。

2020年8月20日、レアル・サラゴサの監督に就任した。

2023年2月14日、バレンシアCFの監督に就任した。

個人成績

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 その他 通算
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
バジャドリードB 1993-94セグンダ・ディビシオンB208208
1994-95263263
通算46114611
バリャドリード 1993-94プリメーラ5151
1994-959090
1995-96271271
通算412412
アトレティコ・マドリードB 1996-97セグンダ・ディビシオン221221
1997-98328328
1998-9925112511
通算79207920
アトレティコ・マドリード 1998-99プリメーラ814020141
1999-002635262377
通算3449282518
バレンシア 2000-01プリメーラ35421152527
2001-0217710187
2002-033551012420509
2003-04358621125212
2004-05257208131389
2005-063142010344
2006-071411030181
2007-082528130363
2008-09283414120385
2009-101802080280
通算2634128566107136457
総通算4637837774127158198

代表での出場記録

スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
200031
200151
2002103
2003100
2004122
200530
通算437

監督成績

2020年8月20日現在
クラブ 就任 退任 記録
試合勝率 %
バレンシアCF・メスタージャ 2013年12月15日 2013年12月22日 1 1 0 0 2 1 +1 100.00
エルチェCF 2015年7月12日 2016年6月6日 43 13 19 11 43 49 −6 030.23
ラーヨ・バジェカーノ 2016年11月8日 2017年2月20日 13 3 4 6 12 14 −2 023.08
スポルティング・デ・ヒホン 2017年12月12日 2018年11月18日 43 20 9 14 59 42 +17 046.51
CDテネリフェ 2019年12月2日 2020年7月20日 28 12 9 7 38 27 +11 042.86
レアル・サラゴサ 2020年8月20日 2020年11月9日 10 2 4 4 9 9 +0 020.00
合計 138 51 45 42 163 142 +21 036.96

タイトル

バレンシアCF

脚注

  1. Players to watch - Rubén Baraja BBC Sport、2004年5月25日
  2. Valencia break club transfer record The Namibian、2000年8月2日
  3. バラハ:「最高のオファーを選びたい」 Goal.com、2010年6月13日
  4. Aragonés finds no place for Baraja UEFA.com、2006年5月15日
  5. Baraja muscled out for Valencia UEFA.com、2006年8月21日
  6. Valencia get bad news on Baraja UEFA.com、2007年3月8日
  7. Baraja blow deepens Valencia woe UEFA.com、2008年1月25日
  8. 「アトレティコ監督はマンサーノに 助監督にはバラハらOBを追加」 footballista、ソルメディア、2011年6月22日号、33頁
  9. Rubén Baraja, nuevo entrenador del Elche C.F.”. エルチェCF公式ウェブサイト (2015年7月12日). 2015年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月16日閲覧。

外部リンク

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