エドゥアルド・ドミンゲス
エドゥアルド・ロドリゴ・ドミンゲス(Eduardo Rodrigo Domínguez, 1978年9月1日 - )は、アルゼンチン・ラヌース出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 妻はカルロス・ビアンチの娘である[1]。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
エドゥアルド・ロドリゴ・ドミンゲス Eduardo Rodrigo Domínguez | |||||
| ラテン文字 | Eduardo DOMÍNGUEZ | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1978年9月1日(45歳) | |||||
| 出身地 | ラヌース | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1996-2002 |
| 98 | (6) | |||
| 2002-2003 |
| 26 | (3) | |||
| 2003-2004 |
| 10 | (0) | |||
| 2005-2006 |
| 23 | (2) | |||
| 2006-2007 |
| 52 | (4) | |||
| 2007-2008 |
| 15 | (2) | |||
| 2008 |
| 3 | (0) | |||
| 2009-2010 |
| 43 | (4) | |||
| 2010-2012 |
| 69 | (4) | |||
| 2012-2015 |
| 73 | (5) | |||
| 2013 |
→ | 15 | (2) | |||
| 1996-2015 | 通算 | 427 | (32) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2015-2016 |
| |||||
| 2017-2018 |
| |||||
| 2019 |
| |||||
| 2020-2021 |
| |||||
| 2022- |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
1996年にCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、マルセロ・ビエルサ監督の下で1998クラウスーラを制した。2002年までベレスに在籍し、2002年から2003年にはクルブ・オリンポにレンタル移籍すると、レギュラーとしてプレーした。2003年にラシン・クルブに移籍したが、同クラブでは深刻な怪我に悩まされた。2005年にはCAインデペンディエンテに移籍し、すぐにかつてのようなコンディションを取り戻した。
2006年、コロンビアのインデペンディエンテ・メデジンに移籍し、クラブの中心選手となった。2シーズンをコロンビアで過ごし、2008クラウスーラを前にCAウラカンに移籍すると、ここでも中心選手としての地位を確立した。2008年7月8日、メジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。夏の移籍期間が7月15日に正式に開始し、7月19日のニューヨーク・レッドブルズ戦でデビューした。2009年1月、古巣ウラカンと1年半契約を結んだ[2]。
2015年限りで現役を引退し指導者に転向し、ウラカンの監督に就任。2017年1月よりCAコロンを率いることが発表された[3]。
個人成績
| リーグ | 出場 | 得点 |
|---|---|---|
| 172 | 13 | |
| 52 | 4 | |
| 3 | 0 | |
| 南米カップ戦 | 16 | 1 |
脚注
- "Bianchi es mejor abuelo que tecnico" Ole
- MLSデイリー
- “Eduardo Domínguez es el nuevo DT”. C. A. COLÓN (2017年1月4日). 2017年10月1日閲覧。
外部リンク
- statistics Irish Times
- Galaxy Welcome Dominguez
- Club A Huracan profile
- BDFA.COM (Statistics)
- Un Cacho de Glamour
- (スペイン語) Argentine Primera Statistics
- Eduardo Domínguez - player profile Transfermarkt
- Eduardo Domínguez - manager profile Transfermarkt
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.