クラレンス・セードルフ

クラレンス・クライド・セードルフ(Clarence Clyde Seedorf, 1976年4月1日 - )は、スリナム・パラマリボ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元オランダ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。

クラレンス・セードルフ
2021年のセードルフ
名前
本名 クラレンス・クライド・セードルフ
Clarence Clyde Seedorf
愛称 El presidente (大統領)[1]
ラテン文字 Clarence Seedorf
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1976-04-01) 1976年4月1日(48歳)
出身地 パラマリボ
身長 176cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF(CH, OH)
利き足 右足
ユース
1982-1983 オランダの旗 AS '80
1983-1986 オランダの旗 レアル・アルメレ
1986-1992 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1992-1995 オランダの旗 アヤックス 65 (11)
1995-1996 イタリアの旗 サンプドリア 32 (3)
1996-2000 スペインの旗 レアル・マドリード 121 (15)
2000-2002 イタリアの旗 インテル・ミラノ 64 (8)
2002-2012 イタリアの旗 ミラン 300 (47)
2012-2014 ブラジルの旗 ボタフォゴ 72 (23)
通算 654 (107)
代表歴
1994-2008 オランダの旗 オランダ 87 (11)
監督歴
2014 イタリアの旗 ミラン
2016 中華人民共和国の旗 深圳
2018 スペインの旗 デポルティーボ
2018-2019 カメルーンの旗 カメルーン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

アヤックス、レアル・マドリード、ミランと異なる3クラブでUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験した史上唯一の選手であるため、同大会における最も成功した選手と見なされる[2][3]。

代表での経歴においては、オランダ代表として87試合に出場し、参加した3度のUEFA欧州選手権 (1996, 2000, 2004)と1998 FIFAワールドカップのうち、1998年以降全ての大会でベスト4進出を経験した。

2004年には、ペレが選ぶFIFA100に選出された。また、セードルフは、タイトルに恵まれた選手であり、在籍した全ての国で国内大会もしくは国際大会での優勝を果たしている[4]。

幼少期

スリナムのパラマリボに生まれ[5]、2歳の時に家族揃ってオランダのアルメレへと移住。家族の影響もあってクリスチャンとして育てられ、元サッカー選手であり、代理人としても活動していた父ヨハンの指導の下、2人の弟ユルゲンそしてセドリックと共にサッカーを始めた[6]。セドリックは、U-21オランダ代表に選出された将来有望な選手だったが、選手として大成はしなかった。

6歳から地元アルメレのアマチュアクラブであるVV AS '80でキャリアをスタートさせると[7]、レアル・アルメレを経て1986年にヨハン・クライフが設立に参加したスカウト団体である「ユージェント・スカウティングチーム」によって、スカウトされてアヤックス・アムステルダムの下部組織へと移った。このスカウトグループはフランク、ロナルド・デ・ブール兄弟、エドガー・ダーヴィッツ、ロブ・ウィツヘ、パトリック・クライファートらをアヤックスへ引き連れてきたグループでもある[8]。

クラブ経歴

アヤックス

アヤックスの下部組織に入団後、順調に各カテゴリーを登っていったが、入団当初は右のサイドハーフとしてプレーしていた。そして1992年11月29日、エールディヴィジのFCフローニンゲン戦にて、当時のクラブ史上最も若いデビュー記録となる16歳と242日でのプロデビューを果たした[9]。デビュー後すぐにルイ・ファン・ハール監督によってレギュラーに固定され、1993-94シーズンの国内3冠に貢献[10]。同時期にクラブに在籍していたフランク・ライカールトを憧れとしていた[11]。

翌シーズンもレギュラーとしてシーズンを戦い、このシーズンはリーグタイトルとスーパーカップであるヨハン・クライフ・スハール優勝を経験した。アヤックス在籍最終シーズンとなった1994-95シーズンは、ヨーロピアン・カップにてACミランとの決勝に進出し[12]、自身は53分までプレーしてアヤックスの優勝をベンチから見届けた[13]。この優勝を成し遂げたことでオランダ国内にて、エドガー・ダーヴィッツ、パトリック・クライファートそしてセードルフの3人はデ・カベル (De Kabel、ケーブル)と呼ばれた[14]。

サンプドリア

ヨーロッパでの舞台でのアヤックスの躍進やボスマン判決の影響もあり、アヤックスとの契約延長を断って1995年7月8日、セリエAのUCサンプドリアに移籍した[15]。クラブでのデビュー戦は8月27日のASローマ戦であり、このシーズンはレギュラーとしてプレー。リーグ戦32試合で3得点を挙げ、クラブのリーグ戦8位フィニッシュに貢献した。

レアル・マドリード

1996年7月26日、ファビオ・カペッロの希望により、移籍金460万ペセタでレアル・マドリードに移籍した。ここでも絶対的な存在としてチームに君臨し、移籍1シーズン目ではリーグ優勝をクラブにもたらし、1997-98シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグを制してヨーロッパ王者に輝いた。1998-99シーズン終了後、レアル・マドリードとユヴェントスFC間にて、セードルフとジネディーヌ・ジダンのトレードが実現しかけたが、ジダンがユヴェントスに留まりたいとの希望を示したことでこの取引は破談した[16]。

インテル

インテル移籍後は、徐々に輝きを失っていく。控えの選手として苦しい時期を過ごし、代表でのポジションも絶対的なものではなくなってしまう。2001-02シーズン、後半戦に出場機会を得ると、目覚しい戦果を上げ復活をアピールした。

ミラン

ミランでのセードルフ (2010年)

2002-03シーズン、フランチェスコ・ココとのトレードでライバルチームのACミランへ加入。このシーズン、自身3度目のチャンピオンズリーグ制覇(史上初の異なる3つのクラブでのチャンピオンズリーグ制覇)。

2006-07シーズン、4度目のチャンピオンズリーグ制覇。この大会では、後にバロンドールを受賞することになるカカの活躍が取り上げられたが、セードルフ自身も随所に高いパフォーマンスを披露している。準々決勝でのバイエルン・ミュンヘン戦では、相手ディフェンダーの股を抜いてのゴールと、フィリッポ・インザーギへ絶妙なヒールパスでアシスト。準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でも、アレッサンドロ・ネスタのロングパスを頭で落とし、カカのゴールをアシスト。自身もネマニャ・ヴィディッチのプレスをものともせず、エドウィン・ファン・デル・サールの守るゴールにシュートを決め、優勝に貢献。UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーとUEFAクラブ最優秀MFを受賞。

2007-08シーズン、2007年12月にFIFAクラブワールドカップで出場。浦和戦では、カカのラストパスから決勝ゴールを決めた。また同月、チャンピオンズリーグにおいて通算100試合出場を達成。

2008-09シーズンでは、怪我でアンドレア・ピルロが離脱したときにはレジスタとして中盤の底でプレーし、代役を務めるなど高いユーティリティ性を示した。

2010-11シーズン、序盤、自らのミスから失点の足がかりとなったり、不用意なパスミスなどで、ポジションを一時ケヴィン=プリンス・ボアテングに奪われるなど限界がささやかれた。しかし、終盤になるにつれパフォーマンスが向上。ミラノダービーでの圧巻のプレー、サンプドリア戦では、無回転のフリーキックを直接決めるなど、結果的にミラン7シーズンぶりとなるスクデット獲得に貢献。

ミランにおいても、加入してからほぼ常にレギュラーポジションをつかみ、公式戦400試合以上に出場した。これはミランにおける、外国人選手の最多出場記録である[17]。

2012年6月、ACミラン退団を発表。

ボタフォゴ

2012年7月、夫人の母国であるブラジルのボタフォゴFRに移籍決定。契約は2年間。

代表経歴

1994年12月14日、ルクセンブルク戦で代表デビュー。しかし、チームの内紛など問題の多いオランダ代表にあって本来の力を発揮する事が出来ず、1996年の欧州選手権では、自らのPK失敗によりチームも敗退。1998年のFIFAワールドカップでは、4位という好成績に貢献しながらも大きなインパクトを残す事は出来なかった。2002年のワールドカップでは、欧州予選敗退。2006年のワールドカップでは、本大会出場に貢献したが、本大会のメンバーから外れた。

代表でプレーする際にはエゴイスティックなプレーが多く、マルコ・ファン・バステン元オランダ代表監督に失格の烙印を押された。しかし2006年11月15日のイングランドとの親善試合で久しぶりに代表に招集され、試合では背番号"10"を着けて先発出場。好調なプレーとキャプテンシーを見せ、再びファン・バステンの信頼を得た。

指導者経歴

ACミラン

2014年1月14日、ボタフォゴを退団し、ACミランの監督となることが決定。会見では「ミランの監督をやる以上は、タイトルを目指したい。」と述べた[18]。16日にACミランと契約し、正式に監督に就任した[19]。

2013-14シーズンは就任後の後半戦19試合で勝ち点35を稼ぐも、監督就任前の前半戦の低迷(19試合勝ち点22)も響いて結局8位に終わった。この結果、チャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグの出場権も獲得できなかった。

シーズン終了後の6月、ACミランは解任を発表。後任は選手時代の同僚だったフィリッポ・インザーギである。

デポルティーボ

2018年2月5日、デポルティーボ・ラ・コルーニャの監督に就任した[20]。しかし、シーズン通じての悪い流れを変えることは出来ず、リーグ18位で終わり、セグンダ・ディビシオン降格が決まり、退任した。

カメルーン代表

2018年8月4日、カメルーン代表の監督に就任した[21]。アフリカネイションズカップ2019終了後の2019年7月に退任した[22]

エピソード

  • ミラノで人気日本食レストラン(Finger's)を経営している。[23]
  • 髪型が以前はドレッドロックスだったが、2004年頃にスキンヘッドにする。トヨタカップでPKを蹴りたがらない選手がいたと発言し、ミランの選手たちを怒らせたことへの反省の表れでもあった。
  • 異なる3つのクラブ(アヤックス・アムステルダム、レアル・マドリード、ACミラン)でのUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げたのは歴代でセードルフただ一人である。
  • 複数の国でプレーしてきたため、語学力に長けている。母国語のオランダ語の他、英語、イタリア語やスペイン語、更にはポルトガル語も自由に操ることができるマルチリンガルである。
  • 妻はブラジル人であり、オフシーズンにはブラジルで過ごす。
  • 長年lotto社と契約していたが、2007-2008シーズンのオフからadidas社のスパイクを履いていた。
  • 北京オリンピックにオーバーエージ枠で参加する予定であったが、ファン・バステン監督の下での代表の要請を断ったことによって、協会の規定によって白紙になった。
  • ユーロ2008は辞退したが、同時期に日本で行われた中田英寿主催のチャリティーマッチに出場している。
  • 2003年から2007年まで、副業として元ブラジル代表のロベルト・カルロスと共にバイクチームを運営していた。[24]
  • スリナムで生まれたセードルフは、スリナムの子どもたちへの支援・基金活動に積極的に取り組んでいることで知られ、私財を投じて学校や病院、スポーツ施設などを建設している[25]。自身4度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた時にもスリナムを訪問し、そのビッグイヤーを披露するとともに、チャリティー活動を行った[26]。
  • また「フットボーラーは模範になるべき」[27]とも語っている。
  • かつては、特に代表チームにおいて自身の望み通りのポジション・背番号を強く要求し、叶わなければ試合を欠場すると公然と言い放つなど、エゴの強さで知られていたが、こういった言動は加齢と共に落ち着いた。
  • オランダ代表、レアル・マドリード、インテル、ACミラン、ボタフォゴで背番号10をつけた。
  • 2005年に自宅に強盗が入り、10万ユーロの被害を受けたが、幸いにも本人、家族ともに無事だった。
  • 2006年にACミランでマヌエル・ルイ・コスタがチームを離れることになり、その背番号10番を自ら志願して受け継いだ。ファンの一部からは10番様と呼ばれることもあった。
  • アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』にコラムを掲載している。「セードルフが答える」と題されたコラムで、おなじみの背番号10と同じ数の毎月10個の質問に答えている。その内容は、サッカー界だけにとどまるものではない。[28]

個人成績

クラブ

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1992-93アヤックスエールディヴィジ121
1993-94194
1994-95346
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1995-96サンプドリア17セリエA323
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97R・マドリード10プリメーラ386
1997-98366
1998-99373
1999-00100
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1999-00インテル14セリエA20352
2000-011024240
2001-0220321
2002-03ミラン2029432
2003-0429450
2004-0532541
2005-0636421
2006-071032775
2007-08327--
2008-09275
2009-10295
2010-11243
通算オランダエールディヴィジ 6511
イタリアセリエA 25434
スペインプリメーラ 12115
総通算
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
UEFAUEFA EL
1992-93アヤックス30
1993-9420
UEFAUEFA CL
1994-95アヤックス110
1997-98R・マドリード10110
1998-9983
1999-0060
UEFAUEFA EL
2000-01インテル1073
2001-02100
UEFAUEFA CL
2002-03ミラン20161
2003-0480
2004-05131
2005-06111
2006-0710143
2007-0872
通算UEFA 12714

代表

オランダ代表国際Aマッチ
年出場得点
199411
199573
1996112
199770
1998121
199970
2000102
200141
200221
200370
200490
200500
200610
200780
200810
通算8711

代表でのゴール

#開催年月日開催地対戦国スコア結果試合概要
1.1994年12月14日オランダの旗 ロッテルダム、デ・カイプ ルクセンブルク5-05-0UEFA EURO '96予選
2.1995年3月29日 マルタ1-04-0
3.1995年10月11日マルタの旗 タカリ、タカリ・ナショナルスタジアム0-40-4
4.1995年11月15日オランダの旗 ロッテルダム、デ・カイプ ノルウェー1-03-0
5.1996年6月4日 アイルランド2-13-1親善試合
6.1996年12月14日ベルギーの旗 ブリュッセル、ボードゥアン国王競技場 ベルギー0-20-31998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
7.1998年2月21日アメリカ合衆国の旗 マイアミ、オレンジボウル アメリカ合衆国0-20-2親善試合
8.2000年10月7日キプロスの旗 ニコシア、GSPスタジアム キプロス0-10-42002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
9.0-2
10.2001年10月6日オランダの旗 アーネム、ヘルレドーム アンドラ2-04-0
11.2002年10月16日オーストリアの旗 ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン オーストリア0-10-3UEFA EURO 2004予選

獲得タイトル

アヤックス

レアル・マドリード

ACミラン

個人

脚注

出典

  1. “早熟の天才セードルフ。こんな変わり者に監督をやらせるのはミランしかない”. Sportiva (2014年1月30日). 2022年7月22日閲覧。
  2. UEFA Champions League – Clarence Seedorf – UEFA.com
  3. UEFA CHAMPIONS LEAGUE SEASON 2009/10 MATCHWEEK STATS PACK MATCHWEEK 1 15/09/2009-16/09/2009 uefa.com
  4. “Clarence Seedorf”. Voetbalcanon.nl – de Nederlandse voetbalhistorie in 22 vensters. 2014年7月9日閲覧。
  5. “Clarence Seedorf – A.C. Milan squad 2011/2012”. A.C. Milan. 2012年1月6日閲覧。
  6. “AC Milan sends Seedorf Jr. to France”. Tribalfootball. http://www.tribalfootball.com/articles/ac-milan-sends-seedorf-jr-france-201275 2013年12月3日閲覧。
  7. “Clarence Seedorf profile”. Inter Milano. 2013年12月3日閲覧。
  8. “The evolution of Barcelona's DNA from Ajax”. ESPN. 2013年12月3日閲覧。
  9. “Wijnaldum jongste Feyenoord-debutant”. 2007年8月13日閲覧。
  10. “AFC Ajax " season 1993/1994”. Worldfootball.net. 2013年12月3日閲覧。
  11. Kessel, Anna (2010年2月14日). “Clarence Seedorf paints picture of hunger and intelligence”. theguardian.com. 2019年8月26日閲覧。
  12. “Ajax's adolescents master men of Milan”. ESPN. 2013年12月3日閲覧。
  13. UEFA Champions League – Matches – UEFA.com
  14. The Dutch are past masters at self-destruction, mirror.co.uk, 2018年12月29日
  15. Paul Madden (2010年4月1日). “Spanish Cumpleanos: Javier Irureta”. Goal.com. 2022年7月25日閲覧。
  16. “A bona fide winner who simply oozed class, Clarence Seedorf” (英語) (2022年5月24日). 2022年7月27日閲覧。
  17. ACミラン公式サイト. “歴史的なマイルストーン”. 2011年4月18日閲覧。
  18. セードルフ引退、ACミラン監督へ 元オランダ代表MF朝日新聞 2014年1月15日
  19. ミラン、セードルフ新監督の就任を発表…契約期間は2年半 サッカーキング、2014年1月16日閲覧
  20. “Clarence Seedorf, nuevo entrenador del Real Club Deportivo” (スペイン語). Página Oficial del R.C. Deportivo de La Coruña. 2019年6月2日閲覧。
  21. “カメルーン代表指揮官にセードルフ! クライファートも入閣でオランダのレジェンドコンビに”. Goal.com (2018年8月4日). 2019年6月2日閲覧。
  22. “Clarence Seedorf and Patrick Kluivert sacked by Cameroon”. BBC Sport (2019年7月16日). 2019年8月26日閲覧。
  23. セードルフ公式サイト. “Finger's Restaurant”. 2011年6月22日閲覧。
  24. Valsir. “Valsir - Team Valsir Seedorf Racing”. 2011年6月22日閲覧。
  25. スポルティーバ公式サイト. “【イタリア】Calcioの真実 vol.7「選手たちのサイドビジネス、その真実」”. 2010年6月22日閲覧。
  26. livedoor スポーツ. “セードルフ、祖国スリナムでCLトロフィを披露(FOOTBALL WEEKLY)”. 2010年6月22日閲覧。
  27. Goal.com. “セードルフ:「フットボーラーは模範になるべき」”. 2011年4月27日閲覧。
  28. livedoor スポーツ. “セードルフが『ニューヨーク・タイムズ』でコラム執筆”. 2009年12月23日閲覧。

外部リンク


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